2010年6月 2日(水)

紙袋が「いまも木である」と告げている ~照屋勇賢アーティストトーク(前編)


参加者からの質問に答える照屋さん 撮影:御厨慎一郎

紙袋やトイレットペーパーの芯など、身の回りにある日用品を使った作品を制作している照屋勇賢さん。「アイディアをみんなが持って帰れるような作品をつくりたい」と言う照屋さんが、「六本木クロッシング2010展」出品作に込めた想いを語ってくれました。

照屋:紙袋の作品は《告知―森》といって、10年ぐらい続けているシリーズです。毎年、気持ちはどんどん変化しているので今の感覚をお話しすると、紙が持っている「木の記憶」というか、「いまだに木である」ということを証明できればいいなと思っています。


《告知―森》2010、撮影:木奥恵三

制作しているとき、紙の張りや強さに、外に生えている木と同じような強さを感じます。そうしたものが凝縮した形で出てこないか、生まれてこないか、大量生産される紙袋の中にも個として存在する木があるんじゃないか、そんな気持ちでつくっています。みなさんが紙袋を覗くときは木と一対一になるので、個人的な関係を木に築いてもらえればと思います。

ちなみに、作品になっている木はすべて実在している木です。僕が旅で見つけたり、近所で見たりしている木を写真に撮って、それを見ながら再現しました。だからこれは木のポートレートです。


《Rain Forest》2007 撮影:木奥恵三

天井から吊るしているトイレットペーパーの芯でできた作品は《Rain Forest》といいます。これも実在している木を下からスケッチして、枝を再現しました。制作するとき、紙の強さや力の伝わり方を考えながら枝を立たせるのですが、やはり木の張りやしなりを紙が持っているんだなと感じました。

実は僕が初めて手掛けたのは、このトイレットペーペーの芯を使った作品です。トイレに芯が何個か残っていることってあると思うのですが、それを見たとき、キツツキのイメージがわいたんです。それで単純に近くにあったカッターナイフでくり抜いた、それがすべての始まりでした。

僕の作品はアイディアがシンプルなので、同じことは誰でもできると思います。紙袋だってトイレットペーパーの芯だってカッターナイフだって、みなさんの家にありますよね。みなさんがアイディアをちゃんと持って帰れる、そんな作品がつくれたらいいなと思っています。

(――次回は沖縄米軍ヘリ墜落事件を受けてつくった作品《来るべき世界に》について(「封鎖された事件現場にも入れた、ピザ配達」)。

【照屋勇賢プロフィール】
てるや・ゆうけん――沖縄生まれ、ニューヨーク在住。紙や布や木など身近なものを素材に、現代社会の諸問題に言及しながらも、独自の想像力やユーモアを込めた、多義的な作品を制作。「六本木クロッシング2010展」出品作は、《来るべき世界に》(2004年)、《告知―森》(2005、2010年)、《さかさまの日の丸》(2006年)、《Rain Forest》(2010年)。最近の作品に、ニューヨークの移民に沖縄出身の出稼ぎ労働者を重ね合わせたヴィデオ・インスタレーション《儲キティクーヨー、手紙ヤアトカラ、銭(ジン)カラドサチドー》(2008-)など。

※ この記事は2010年3月20日に開催した「六本木クロッシング2010展:芸術は可能か?」のアーティストトークを編集したものです。

<関連リンク>
・森美術館フリッカー
今回のアーティストトークの模様をアップしています
来館した 出展アーティストの写真はこちら
照屋さんの <告知-森>シリーズはこちらからも見れます
「六本木クロッシング2010展:芸術は可能か?」
会期:2010年3月20日(土)~7月4日(日)

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