2012年7月17日(火)

松井冬子の「死」、イ・ブルの「ユートピア」
松井冬子×片岡真実 MAMCナイト対談ギャラリートーク(3)

「イ・ブル展」MAMCナイトで、画家の松井冬子さんをゲストに迎えて行った対談ギャラリートーク。前回は、個々の作品に対しての感覚から、彫刻と画家の違いについて話が及び、『サイボーグ』シリーズでは欠損した形の美に共感したと語った松井さん。今回は、【ユートピアと幻想風景】セクションでは、『私の大きな物語』や『ブルーノ・タウトに倣って』に見られるイ・ブルのユートピア思想にポジティブな意識を感じ、自身の「死」についての考えを語ります。


MAMCナイト会場風景
撮影:御厨慎一郎

片岡:「人間を越えて」のセクションには、「リヴ・フォーエバー」、「サイボーグ」シリーズと、「アナグラム」シリーズがあります。「サイボーグ」は、人間にかわる新しい生命体として未来を連想させる形をしています。
アナグラムとは英語で、単語のなかのアルファベットの順番を並び替えて別の単語をつくるという言葉遊びですけれど、「アナグラム」シリーズの作品は、さまざまなパーツの交換可能性を示唆するような関節が強調されて見えます。


《リヴ・フォーエヴァーII》
2001年
ファイバーグラス製カプセル、防音素材、皮、電子機器
254×152×96.5 cm
所蔵:金沢21世紀美術館
Courtesy:Fabric Workshop and Museum, Philadelphia
Photo:Will Brown

松井:展覧会を見て一番大きな感想は、「わからない」という事と、わからないけれど強烈に印象が残っているものが《サイボーグ》のシリーズです。なぜわからないのかというと、彼女には自分の身体を拡張したいという気持ちがある。その「拡張したい」という感覚というのは、私自身にはあまりない感覚だったので、共通する感覚が得られなかった。でも、サイボーグの形が女性の形をしているというところだけ、シンパシーを持って見ることができました。
身体を拡張したいという感覚というのは、品のない話ですが、例えば男性にとって勃起というのは自分の身体を拡張するものだと思うのです。映画の『トランスフォーマー』は人気ですが、小さいものがバーッと大きく変わっていく感覚にひかれるというのは、男性の感覚としてあると思います。女性の私からしてみると、多分子どもを産まない限りは、「拡張」という感覚にシンパシーを得られることがあまりないのかなと。なので、この感覚を持っているイ・ブルさんの不可解な感じがずっと頭に残り、「わかろうとしても、わかるものはない」とちょっと諦めも入りつつも、「わからないことを、わからないこととして処理しよう」というふうに思いました。


《サイボーグ W3》
1998年
シリコン、ポリウレタン、塗料用顔料
185×81×58 cm
所蔵:アートソンジェ・センター、ソウル
Courtesy:Studio Lee Bul
Photo:Yoon Hyung-moon

片岡:彼女が作品を吊っていることについて聞いてみたところ、松井さんがおっしゃったように、台座に乗せて彫刻の重力を感じるという伝統的な概念から解放させているということがひとつと、もうひとつは、ギリシア彫刻のあり方も言及していました。アフロディーテも含めてですけれども、見えない存在である神や女神たちにさまざまな形を与え、それを実際に神殿の中で配置をするときに、人間の位置よりも高く配置をすることによって、人間と神々との距離、もしくはなかなか手の届かない存在というようなことを表現していたと。
自分の彫刻、より理想的な身体を求めたサイボーグを、手の届かない距離感に展示しているようです。

松井:サイボーグをつくったとしても、足が欠けていたり、手が欠けていたりとかするのですが、それは《ミロのビーナス》のような「体の部分が欠けていても美しい形」という感覚を、やはり彫刻家として持っていると思って、そこも私が好きな部分です。

片岡:おっしゃるとおりで、《ミロのビーナス》は欠損部分があることによって、逆に、完全な形を後世の人たちに、これだけ長いこと想像させている。そのこととイ・ブルのサイボーグとは明らかに共通性がありますね。
本当にトランスフォーマー的な形をしていますが、いずれも女性的なポーズをしていて、硬質に見えるフォルムにやわらかさを加えています。
また基本的にはすべて1点吊りです。1点で吊られていながらバランスをとっている形というのも、相当難しいと思うのですが、彼女は彫刻家として、作品に前後左右という概念はなく、どこから見てもいい、本当にバランスのとれた形を模索していると言っています。吊られているこでどの角度からも鑑賞できます。また、これまではほとんど真っ白い空間に展示されてきましたが、今回はあえて暗闇に浮かぶ身体のようなドラマティックな演出にしています。

松井:見やすくていいですね、白がとてもきれいに見える。


「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」展示風景
撮影:渡辺 修

片岡:「ユートピアと幻想風景」セクションでは、それまで自分の身体、もしくは理想の身体というスケール感でさまざまなものを追求していたところから、イ・ブルが2005年、40歳になって以降、もともと興味を持っていた建築や都市といったスケール感に拡大された作品群をご紹介します。
ジャン=フランソワ・リオタールの「大きな物語」、「小さな物語」という『ポストモダンの条件』にみる概念から派生した「私の大きな物語」というシリーズがそれです。シリーズのいくつかは20世紀の前半のロシア・アヴァンギャルドなどの芸術運動や建築家ブルーノ・タウト、あるいは韓国の近現代社会の方向性を象徴する人物などが持っていたユートピア的な構想、「よりよい社会とは何か」という問いかけにイ・ブルが関心を持ったものが具体的な題材として選ばれています。
例えば、《雪解け(高木正雄)》は一見ピンク色の氷の塊のようですが、そのなかには1979年に暗殺されるまで韓国の独裁政権を率いていた朴正煕(パク・チョンヒ)の姿をした人体が氷詰めのようになって入っています。そこから流れ出る黒いビーズも大変示唆に富んでいます。

大きなシャンデリアのような彫刻は《ブルーノ・タウトに倣って》です。タウトは、20世紀前半のドイツの建築家で、第二次世界大戦中には日本に亡命していて、高崎で工芸デザインなども教えていましたし、桂離宮の美しさを西洋に紹介をした人としても知られていますが、この作品は彼の1919年の『アルプス建築』というユートピア構想に着想を得ています。
具体的な歴史上の人物、もしくは社会的な事象に共感をして作品に起こすということですが、松井さんも既存の作品や様式に言及しつつ、自分の作品を発展させていることもあると思うのです。例えば《九相図》など。


《雪解け(高木正雄)》
2007年
ファイバーグラス、アクリル絵具、ビーズ、ワイヤー
93×212×113 cm
所蔵:ギャルリー・タデウス・ロパック、ザルツブルグ / パリ
Photo Courtesy:the artist and Fondation Cartier pour l'art contemporain, paris
Photo:Patrick Gries

松井:イ・ブルさんの場合は、他者とのかかわり合いに対してポジティブというか、積極的というイメージがあって、ユートピア理論に関しても、見ていると「こんな場所があったらいいな」といった理想郷じゃないですか。
私のことばかり言って恐縮ですが、「私が死にたい場所」とか「私の理想の死に姿」とか、そういう「死」のことばかりを描いているので、「すごく逆の方向性になると、ああ、こういう考え方になるのかな」と希望が持てました。

片岡:松井さんの死への関心というのは、どういうモチベーションですか?

松井:生活する事と同じで当たり前のことになっています。
例えばこの作品群を見ていくと「生き延びたい」、「不死不老」といった言葉が浮かびますが、「不死不老を目指したい」という考え方が、私の中には全然なく、イメージができない。どういう考え方になったら、「死にたくない」とか「若く生きたい」といった考え方になるのかが、さっぱりわからなくて困ってしまう。
「自分自身で生まれてくることをコントロールすることは出来ないが、死くらいはコントロールしたい」という考え方なので、全く逆のものを見せつけられているような感覚がありますね。

片岡:私が思うに、イ・ブルは幼少期にかなり限定的な暮らしをしたことや検閲が日常的だったこと、あるいは軍事独裁政権化の韓国がさまざまな拷問やら市民の死などを経験したなかで、「死」や「独裁社会」に対する強烈な警戒心や反発を感じるようになり、「よりよい社会を求めた人たち」との共通項を探していたのではないでしょうか。


《ブルーノ・タウトに倣って(物事の甘きを自覚せよ)》 2007年
所蔵:ギャルリー・タデウス・ロパック、ザルツブルグ/パリ
「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」展示風景
撮影:渡辺 修

松井:社会の状況で、できる作品というのは違ってくると思います。歴史を読み解くのは、やはり美術で大事ですね。

片岡:松井さんは、自身のアイデンティティに対する「抑圧」から創作意欲が湧いてきたりすることはありますか。

松井:もちろん、考え方としてヒントになることはたくさんあります。多分、自分で探しにいかないと、「抑圧」という言葉は出てこないけれども、「抑圧」という言葉を探すと、いっぱい出てくる。でも、周りの人は全然気がついていないことが多くて、自分で探しにいっていることはあると思いますね。

<関連リンク>

・松井冬子×片岡真実 「イ・ブル展」MAMCナイト対談ギャラリートーク
第1回 松井冬子さんとイ・ブルの共通点、作品に込められた「不安・恐怖・痛み」
第2回 彫刻家と画家の違い、〜制作のスタンス・大事にする感覚・進め方
第3回 松井冬子の「死」、イ・ブルの「ユートピア」
第4回 説明無しでも強烈なエネルギーを発する作品
第5回 社会に対するパンクな精神に共感する

「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」
会期:2012年2月4日(土)~5月27日(日)

設営風景「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」(flickr)

「イ・ブル展」アーティストトーク2012/2/4(flickr)

展示風景「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」(flickr)

「イ・ブル展」はこうしてつくられた!
普段見られない舞台裏に潜入したフォトレポートをご紹介します。(Blog)

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