イベントレポート TOP PAGE

シンポジウム「英国美術とターナー賞」 レクチャーシリ−ズ「英国現代美術を知る」
第1回「拡張された彫刻」から「ニュー・ブリティッシュ・ スカルプチュア」へ
第2回「YBA:ブリットポップ からクールブリタニアまで」
第3回「ポストYBA:今日の英国美術」

■シンポジウム「英国美術とターナー賞」、開催レポート

2008年4月25日、六本木アカデミーヒルズにおいてシンポジウム「英国現代美術とターナー賞」が開催された。当日は、「ターナー賞」を主催するテートから館長のニコラス・セロータ氏、キュレーターのリジー・ケアリー・トーマス氏を迎え、森美術館館長の南條史生をモデレーターに、「ターナー賞」の歩みと新しい現代美術の受容について、来場者の方々も交えて熱い議論が交わされた。

南條館長の挨拶で始まったシンポジウムでは、最初に本展共同キュレーターであるリジー・ケアリー・トーマス氏が、ターナー賞を通して英国美術25年の歩みを辿るプレゼンテーションを行った。


ターナー賞とは〜リジー・ケアリー・トーマス
ターナー賞の変遷〜ニコラス・セロータ
英国の美術教育〜質疑応答より

1. ターナー賞とは〜リジー・ケアリー・トーマス

「ターナー賞」とは、年に一度、50歳以下の英国人もしくは英国在住のアーティスト1名に与えられる現代美術の賞であり、毎年5月にその前年の活動が評価された4名の候補者が選出される。10月に候補者たちの作品がテート・ブリテンで展示され、12月の授賞式はテレビで生中継される国民行事のひとつとなっている。1984年の設立以来、総勢23名のアーティストがターナー賞を受賞。現在では国際的に広く知られているターナー賞だが、設立当初の10年間は試行錯誤を繰り返した。とくに90年は英国の深刻な経済不況からスポンサーが倒産、ターナー賞が中止となる事態に陥った。1年のブランクの後、91年にテレビ局のチャンネル4と提携。賞金総額も2万ポンドに倍増され、現在のフォーマットが確立された。
「ターナー賞」の変遷は、英国現代美術のターニング・ポイントを色濃く反映している。1990年代のYBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)はその最たる例であり、英国を国際的な現代美術の中心地のひとつへと変貌させた。YBAの定義は曖昧だが、95年度受賞のデミアン・ハーストや93年度受賞のレイチェル・ホワイトリードなど、英国の若手アーティスを中心に展開された現象といえる。なかでもデミアン・ハーストを含むゴールドスミス・カレッジの生徒が1988年にロンドン東部の商業倉庫で開催した「フリーズ」展は、この現象の神話的展覧会として存在している。後にメディアは作品の形態に関わらず若手アーティストであればすべてYBAと称するようになったが、もともとの基本的特徴として、直接的な表現方法やポップ・カルチャーとの親縁性、コンセプチュアリズムとアーティスト自身の個性が重要視されるセルフ・プロモーション的要素などを見出すことができる。このような英国現代美術の変貌と同時進行的に、美術雑誌「フリーズ」の創刊、保守党から労働党への政権交代、2000年のテート・モダン開館、美術市場の活性化などが呼応することによって、英国美術は現在のような位置を確立して行った。

続いてニコラス・セロータ館長から、ターナー賞の現在までの変遷における主な特徴が挙げられた。

2. ターナー賞の変遷〜ニコラス・セロータ

まず言えるのは、作品形態の多様性。絵画・彫刻という形態から、写真・映像・インスタレーションなど、あらゆるメディアの作品に賞が提供されるようになった。また、1990年代から毎年一人は候補者の中に女性が選出されるようになったことからも、女性アーティストの台頭が挙げられる。さらには、英国以外で生まれ、英国でキャリアを築くアーティストの増加に伴う国際化。2000年度の候補者である高橋知子も英国で活動し、キャリアを築いているアーティストのひとりだ。
文学の文化が圧倒的に強いといわれていた英国だったが、テートの入場者数はここ25年の間に100万人から650万人にまで増加した。この推移は、アートに対する世間の関心がどれだけ高まってきたのかを示すものだ。ターナー賞によって、若手アーティスト、そして最新のアートをロンドンで展示することが可能になった。

3. 英国の美術教育〜質疑応答より  
プレゼンテーションの後、モデレーターの南條史生館長、来場者の方々を交えての質疑応答が行われた。中でも、会場から英国と日本での美術教育の違いが来場者の方から質問として挙がると、英国美術教育における特色が説明された。
<英国の美術教育>
英国における70〜80年代の美術大学の強みは、すでにアーティストとして活動する生徒や教師がいたことだ。これによって、どのように戦略・キャリアを実行するのかを知る機会が与えられていた。生徒によっては、生徒自身が企業家精神を持って積極的に活動を展開して行った。この動きは、当時の英国の経済不況から、アートを見せる場所が極端に少なかったことにも起因しており、生徒はすべてを自分自身で実行していくという態度を教えられていた。アーティストでありながら、企業家のように動く。自分のプロモーションを行い、展覧会も作る。その流れの中で、デミアン・ハーストのようなアーティストが登場し、現在も活躍を続けている。

今年もターナー賞の季節がやってくる。どのアーティストが受賞するのか、国際的な注目が集まることは必至だ。しかしながら、その結果を最も楽しみにしているのは、英国国民かもしれない。それは年に一度、同時代のアートを自分の目で判断する機会でもあるから。アートを自分の中で捉え、現在の生活や社会の一部であると認識し、それを語り、討議する。ターナー賞は、自分の意見を持ってアートと対峙する、一年に一度の文化イベントでもあるのだ。ターナー賞は社会のなかでアートを推進し、文化イベントとして定着させてきた。このような英国の状況を踏まえ、日本における文化産業の見直しと活性化が南條館長から提言され、この日のシンポジウムは終了した。

■レクチャーシリーズ「英国現代美術を知る」


第1回「拡張された彫刻」から「ニュー・ブリティッシュ・ スカルプチュア」へ

英国の現代美術を時代を追って紹介するレクチャーシリーズ(全3回)の第1回は、1960年代から80年代までの英国彫刻の変遷である。この時代の英国彫刻は、「拡張された彫刻」、続いて「ニュー・ブリティッシュ・スカルプチュア」というふたつの動向が起こり、他国に類を見ない独特な展開を遂げた。このレクチャーでは、英国現代美術の展覧会を数多く企画してきた塩田純一氏を講師に迎え、代表的な作品をスライドで見ながら、その概略を聞くことができた。
60年代以降の英国彫刻の問題意識とは、いわゆる「台座に載った人体像」といったような彫刻における既成概念への挑戦だったといってよい。そして、60年代前半、床に直置きした鉄製の彫刻で知られるアンソニー・カロらが登場し、その教え子の世代が60年代末から70年代に発表した作品を「拡張された彫刻」と定義できる。それは当時の米国で勢いのあったミニマリズムやコンセプチュアル・アートの洗礼を受けつつ、前の世代をさらに越えて「自由な彫刻」を志向した作家たちによる潮流だ。
その特徴は、明確な形態をもたないこと、さらには物質的な拠り所をもたないこと。たとえば、自分たちの身体を彫刻と考えて「生きる彫刻」と称し、自ら台座に載ってパフォーマンスを行ったギルバート&ジョージ(*)や各地を歩いて土地に痕跡を残すことが彫刻行為だとしたリチャード・ロング(*)らがいる。ほかにも、砂や布を使った可塑的な作品をつくったバリー・フラナガン、氷で彫刻をつくって溶けていくさまを作品としたブルース・マクリーンなどが紹介された。
その後、80年代になると欧米ではニュー・ペインティング、新表現主義といった動向が起こり、絵画の世界では「イメージの復権」が叫ばれていた。それに対して英国で台頭してきたのが、「ニュー・ブリティッシュ・スカルプチュア」である。「拡張」世代と対照的に、メタファー(隠喩)としてのイメージの復活、物質性の回帰、有機的な形態を特徴的としていた。
たとえば、トニー・クラッグ(*)。プラスチックの日用品をはじめ、捨てられたゴミのようなものを素材とするなど、材料もさまざまで、形態も多様な作品を制作している。しかも、政治的な問題も取り込みながら、きちんとイメージを喚起させるすぐれた造形も巧みだ。「組立工(ファブリケーター)」を自称するリチャード・ディーコン(*)も、枠組みだけでできているような形態でありながら、ひとつのイメージから多くの想像を生むような作品をつくるアーティスト。また、アントニー・ゴームリー(*)は、自分の身体をかたどった像を出発点としながらも、匿名性の強い、人間の元型的なイメージを追求するような作品を発表してきた。その人体は、哲学的なメタファーとしても成立している。ほかに、ビル・ウッドロウ、アニッシュ・カプーア(*)やジュリアン・オピーらの作品も紹介され、「ニュー・ブリティッシュ・スカルプチュア」の作家は、同様の問題意識をもちながらも、それぞれの表現を実現させていたことがわかった。
現代美術の展開は、塩田氏の言葉を借りれば「先行世代の成し遂げたことを引き継ぎつつ、批判的に乗り越える」という「しなやかな態度」のアーティストたちが紡ぐ歴史である。まさに、その検証ともいえるようなレクチャーであった。

(*)は、ターナー賞受賞者であり、本展出品者


第2回「YBA:ブリットポップ からクールブリタニアまで」

レクチャーシリーズの2回目は、YBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)を生んだ1990年代の英国がテーマである。講師は、カルチュラル・スタディーズを中心に活躍する社会学者の毛利嘉孝氏。毛利氏は、90年代のロンドンに5年間滞在しており、実体験を交えながらのレクチャーとなった。  まず、80年代まで有名な英国人現代美術家が多くないことに特有の事情があるという。ひとつには、ロック(ポップ)・ミュージシャンにはアートカレッジ出身が多く、ロック文化の中に美術表現が流入しているからである。それはリチャード・ハミルトンの講義に影響されたブライアン・フェリーらがロキシー・ミュージックを結成したり、ビートルズのレコード・ジャケットをピーター・ブレイクらが手がけたりしたのは、その典型例だ。
また、80年代後半に悪化した景気が回復し長く続いた保守党政権が労働党のブレアに政権交代したことで、90年代後半の英国は、「まるでお祭り気分」と思えるほどの独特のイケイケなムードだった。
こうした状況を背景に、90年代最大の話題を呼んだアーティストがデミアン・ハースト(*)であり、彼が中心人物となって数々の若い作家を輩出したのがYBA現象だった。いまや伝説的なグループ展「フリーズ」を88年に企画し、90年の作品《一千年》以降、賛否両論の作品をつくりつづけているハースト。彼の功績は、ポップ・カルチャー(大衆文化)の戦略とファイン・アートの戦略を、それまでになかったかたちで急速に合体させたことにある。
YBAには、ほかにトレーシー・エミンやクリス・オフィリ(*)、サラ・ルーカスらがいるが、スキャンダラスな作品で登場してきたことを除けば、共通点はほとんどない。それよりも、YBAの台頭には、英国の政情の影響が大きかった。先述のように景気が回復し、ブレアは「クールブリタニア」を標榜して創造産業に接近し、支援を明言した。労働党政権がクリエイティブな人々の支持を集める中で、ファッション・デザイナー、ミュージシャンなどと同様に、現代美術家もポップ・アイコンとして人気と影響力をもつようになっていったのだ。英国音楽業界は、ブラーとオアシスを中心にしたブリットポップでかつてないほどに盛り上がる。そして、ブラーのミュージック・クリップを、メンバーと同じアートカレッジ、ゴールドスミス出身のハーストがつくる。そのような話題が、次々とマスコミに取り上げられていった。
そうしたYBA現象の頂点が、97年にロンドンで開催され、ベルリンとニューヨークに巡回した「センセーション」展だ。展覧会は、各方面で激しい論争を巻き起こしたばかりか、連続誘拐殺人犯をモチーフにした作品が襲撃されるという事件が起こるほどだった。
その後、英国美術はポストYBA世代が出現するが、このレクチャーではそれまでの流れが紹介された。テクノ・ユニットからアーティストに転身したKLFのパフォーマンス映像や、ブリットポップとクールブリタニアを検証した映画「リヴ・フォーエヴァー」など、準備された映像資料も、その理解を大いに助け、かつ聴衆はそれぞれになつかしい感慨を感じたようだ。そのうえで、現代美術が社会情勢、もっといえば政策と結びつく産業であることをも示したレクチャーとなった。

(*)は、ターナー賞受賞者であり、本展出品作家


第3回「ポストYBA:今日の英国美術」

レクチャーシリーズ最終回となる第3回目は、2000年以降の英国美術を取り上げた。講師は、英国で美術理論を修めた後、2000年から東京を拠点に国際的な活動をしているインディペンデント・キュレーターのロジャー・マクドナルド氏。1997年から5年間、ロンドンで学んだ森美術館の近藤健一も壇上に並び、この数年の注目すべき話題と新しい動向を紹介した。
まず、2000年代の幕開けを象徴したのは、旧発電所をリノベーションしたテート・モダンの開館だったといえる。市民に開かれたアートセンターとして機能しているうえ、あらゆる面で英国美術の国際化を決定的にした。また、〈9.11〉テロが起こった2001年、ブレア首相がブッシュ大統領といちはやく手を組んだことは、その後、多くのアーティストが政治的な主題へと向かう伏線となる。その一方、マーティン・クリード(*)のターナー賞受賞作は、当時非物質的な新しい美術表現の登場を思わせた。
2002年は、ドクメンタ11(5年ごとにドイツで開催される大型国際展)が行われYBA(第2回レポート参照)ではない英国在住のアーティストが多数参加した。スティーヴ・マックイーン(*)、クトゥルー・アタマンをはじめとする、移民系英国人である。続く2003年には、美術雑誌『Frieze』がロンドンでアートフェアを開催。欧米からたくさんの有名画廊が出品して大成功を収める。また、英国の美術界にも、積極的にプライマリーとセカンダリーの両市場を扱う画廊や、外国資本の画廊などが参入してくるようになった。
さらに、この4〜5年のひとつの傾向として、戦争や暴動などといった社会的モチーフを扱いながら、歴史観を再構築するような「ドキュメンタリー的手法の復権」が上げられた。そうした作家には、たとえばマーク・ウォリンジャー(*)やジェレミー・デラー(*)らがいる。
話題は今年の最新情報にまで及び、今回のターナー賞候補者それぞれの特徴や、世界中で話題を呼んでいるグラフィーティー・アーティストバンクシーの作品なども紹介された。歴史を行きつ戻りつしながらも、「年表的アプローチ」を基本とした進行は、たくさんの事象を多視点から捉えることで、同時代美術の様相をうまく浮上させていた。
本レクチャーは、YBAを振り返るところから始まったのだが、「そもそもYBAに厳密な定義などない」という結論は、やはり前回のレクチャー同様であった。つまり、誰がYBAで誰がYBAではないのか、という線引きに正解はない。しかし、その避けがたい前提を受けながらも、折にふれて語られた、次のような分析は示唆に富んでいた。すなわち、「YBAは、それまでの美術に挑戦し、暴力的なまでに時代に乗り込んできた」ということ。そして、「ポストYBAといわれるアーティストのほとんどは、YBAとは別の問題意識をもちながら、90年代からすでに活動を始めていた」「ポストYBA時代というが、YBA世代の多くは、いまもトップアーティストとして精力的に活躍している」「80年代に活躍を遂げながら、一度YBAの陰に隠れてしまったアーティストたちが、ここにきて再評価されはじめた」ということであった。
約100枚ものスライドを駆使したふたりの掛け合いは、非常に濃密であった。アートマーケットの現状分析や新しい美術理論も参照され、アートファンのみならず、美術関係の仕事に携わる人にとっても、満足できるものだったのではないだろうか。

(*)は、ターナー賞受賞者であり、本展出品作家


PAGE TOP