2010年11月26日(金)

人間も森羅万象と共にある―アーティスト李禹煥が語る「もの派と日本の自然観」

1968年から1970年代前半にかけて、日本では「もの派」と呼ばれた美術動向が話題になりました。「もの派」のアーティストは、石、木、土、鉄、セメント、工業用製品、日用品などの素材を、ほとんど手を加えずそのまま提示して作品としましたが、そこではオブジェクトと人と空間の関係性が重視されました。一方「ネイチャー・センス展」では、自然崇拝や山岳信仰などに始まる日本の自然観から、宇宙へ連なる不可視の空間を古代人がどのように把握していたかという問いに発展し、そこから現代のアーティストの空間構成やインスタレーションという関心へ繋がっています。そこは、「もの派」との何らかの関連性があるのではないかと考えられます。10月26日(火)に開催したレクチャーでは、「もの派」の理論化に貢献したアーティスト李禹煥さんをお迎えし、「もの派と日本の自然観」と題してそのお考えを伺いました。


もの派には、自ら作ることができない自然物や産業用品と作品とを結びつける「出会い」がある

この東アジア圏の湿潤で温暖な気候と、動植物が豊かな自然環境では、人々は自分も万物の一部であると捉え、人間か自然かの区別をはっきりさせない感覚を育んでいるといいます。「もの派」には多様な作家が含まれるため、いわゆる日本の自然観と彼らとの直接的な関係性は希薄ですが、森羅万象と共に人間も存在している、という基本的考えは、「もの派」にも共通するものがあると、李さんは説明します。


李禹煥《関係項》1968年

もの派は、作家のコンセプトの実現を命題とする西欧的な制作の姿勢を避け、作らない要素を作品に取り入れる、ということを重視しました。彼らは、自分が支配的になるのではなく自ら作ることができない自然物や産業用品を作品に取り入れて、それらを結びつけていくことを目指したのです。これを李さんは「出会い」と呼びます。作ることと作らないこととの関係性、人と時間、人と物、物と物との出会いの場を作品にする。その時生まれる「現象」を大事にしたと言ってもいいでしょう。


関根伸夫《位相-大地》
1968年|第1回現代彫刻展(須磨離宮公園)

当時のスライドを見ながら、李さん自身がどのようなアプローチで作品制作に望んでいたのか、また、「もの派」のアイコン的な作品、関根伸夫の《位相−大地》を目の当たりにした時の話、同時代のイタリアのアルテポーヴェラやアメリカのランドアートと呼ばれる作品との違いなど、当時の社会情勢などもからめてお話いただきました。1970年代当初の「もの派」の動向と、その理論化の過程を当事者である李さんから直接お伺いできたのは、私たちにとっても大変貴重な機会となりました。

もの派は70年代には失速してしまいますが、1986年にパリのポンピドゥー・センターで催された「前衛芸術の日本」展で取り上げられるなど、その後改めて海外で注目されるようになります。東洋的やアジア的だといわれることに対し、「美術として同じ評価のテーブル上にのっていないということを意味していて、本当にいやだったんです」という李さん。東洋的という言葉が出なくなった時、もの派が正当に理解されるようになったと感じたとのことです。

最後に、「若いアーティストには是非海外に出て広い世界を見てほしい。そうしないと日本は本当に終息してしまうよ。」と昨今の内向き思考と言われる若者へメッセージを送り、レクチャーは終了となりました。

※本レクチャーで使用した画像は東京画廊さんからご提供いただきました。
 

<関連リンク>
「ネイチャー・センス展: 吉岡徳仁、篠田太郎、栗林 隆
日本の自然知覚力を考える3人のインスタレーション」

会期:2010年7月24日(土)~11月7日(日)

カテゴリー:03.活動レポート
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