2011年7月28日(木)

「一分でわかるメタボリズム」(1)メタボリズムの立役者にはどんな人たちがいたのか?

9/17(土)に開幕する「メタボリズムの未来都市展:戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン」は、建築家たちが夢見た理想の都市像「メタボリズム」を振り返る、初の展覧会です。
「メタボリズムの未来都市展:戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン」についてはこちら

この、「メタボリズム」という運動は何だったのか、キーワードを元に写真と漫画で当時を解説する「一分でわかるメタボリズム」を本ブログにて公開します。7/28(木)より毎週1話ずつ、全4回読むことで「メタボリズム」の予備知識をマスターできる連載です。

第一回目は、メタボリズムの立役者にはどんな人たちがいたのかについて学びます。


丹下健三
Tange Kenzo [1913~2005]
イラスト:モリナガ・ヨウ

1960年に開催された「世界デザイン会議」を機に、建築家の黒川紀章、菊竹清訓、槇文彦、大髙正人、デザイナーの栄久庵憲司、粟津潔、建築評論家の川添登らによってメタボリズム・グループが結成されました。彼らはマニフェスト『METABOLISM/1960̶都市への提案』で新陳代謝する都市のアイデアを発表、大きな反響を巻き起こします。若い建築家たちに深い影響を与えたのが、メタボリズムの原点ともいえる広島の戦後復興計画に深く関わった建築家、丹下健三と浅田孝でした。彼らメタボリズム運動の中心を担った人々の思想とデザインを見てみましょう。

丹下健三 Tange Kenzo [1913~2005]

「世界のタンゲ」と呼ばれ、日本の建築界に君臨した巨人。
メタボリズム思想は、東大都市工学科丹下研究室から生まれたといっても過言ではありません。《広島ピースセンター》《国立代々木屋内総合競技場》《大阪万博》などの国家的プロジェクトのほか、海外にも作品を残しています。

大髙正人 Otaka Masato [1923~2010]

前川國男建築設計事務所を経て、1962年に大髙建築設計事務所設立。メタボリズム・グループのリーダー的存在。細部まで決めずに成長の余地を残す都市計画を提唱しました。人工地盤の上に住宅を建てる《坂出人工土地》、菊竹清訓らと協働した《つくば科学博覧会会場計画》などを手がける。

川添 登 Kawazoe Noboru [1926~]

建築、都市、文明などについて幅広く評論活動を行った。メタボリズム・グループのスポークスマン的存在。1960年、「世界デザイン会議」を開催し、黒川紀章らと共著で『METABOLISM/1960―都市への提案』を出版。ほかに『建築の滅亡』『民と神の住まい 大いなる古代日本』など、著書多数。

菊竹清訓 Kikutake Kiyonori [1928~]

1953年、菊竹清訓建築設計事務所を設立し、伊東豊雄を始めとする多くの著名建築家を輩出。1960年、川添登らとメタボリズム・グループを結成。『代謝建築論 か・かた・かたち』などの著書で独自のデザイン思想を展開している人物。《スカイハウス》(自邸)、《江戸東京博物館》などのほか、2005年愛知万博総合プロデューサーを務めました。

槇 文彦 Maki Fumihiko [1928~]

丹下研究室を経てハーバード大学院に留学、1960年メタボリズム・グループに参加。1965年、槇総合計画事務所を設立。《スパイラル》《テレビ朝日本社ビル》など、純粋モダニズム建築を多く手がけています。成長する都市計画《ヒルサイドテラス》などはメタボリズムの思想を体現したものとして評価が高く、近年は《ワールドトレードセンター タワー4》のプロジェクトに関わっています。

粟津 潔 Awazu Kiyoshi [1929~2009]

グラフィック・デザイナーとしてポスターや本の装幀を手がける。1960年、メタボリズム・グループに参加、後に《東光園》の室内装飾など、菊竹清訓とも協働しました。メタボリズムの重要なキーワードとなった「環境」を考察する「エンバイラメント(環境)の会」にも関わりました。

栄久庵憲司 Ekuan Kenji [1929~]

インダストリアル・デザインの第一人者。1957年、GKインダストリアルデザイン研究所(現GKデザイングループ)設立。1960年、メタボリズム・グループの結成に参加。メタボリズムの思想を工業デザインに展開し「道具論」を提唱。キッコーマンの卓上醤油瓶、ヤマハのオートバイ、成田エクスプレス等々の数多くの幅広いジャンルのデザインを手がけました。著書に「幕の内弁当の美学」など。

磯崎新 Isozaki Arata [1931~]

丹下研究室で《東京計画1960》《大阪万博》《スコピエ計画》などを担当、1963年に磯崎 新アトリエを設立。《大分県立図書館(現アートプラザ)》《ロサンゼルス現代美術館》《水戸芸術館》のほか、中東、中国などでもプロジェクトを手がけ、現在は黒川の意思を受け継ぎ、鄭州での計画を推進中。思想家としても活動、『建築の解体』など、著書多数。

黒川紀章 Kurokawa Kisho [1934~2007]

丹下研究室出身、メタボリズム・グループ創設メンバーの一人。その理論を活かして《中銀カプセルタワービル》を設計。ほかに《国立新美術館》《クアラルンプール国際空港》などの建築や都市計画も多く手がけています。2007年都知事選に立候補するなど、政界進出にも意欲を示しました。『都市デザイン』『共生の思想』など、著書多数。

次回は8/4(木)更新です。
「一分でわかるメタボリズム」(2)復興のデザインとは何か?
 

<関連リンク>

「メタボリズムの未来都市展:戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン」
会期:2011年9月17日(土)~2012年1月15日(日)

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