2012年10月25日(木)

テクノロジーの発展に対する魅力と恐怖
サイボーグから見るイ・ブル(2)

全3話でお届けしている「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」のシンポジウム「理想の社会を求めて」の高橋透さんによるサイボーグについての講演。第2話の中では、サイボーグの性別や容姿、またテクノロジーの進化にともなう魅力や恐怖について語られました。

向きや細部を調整するイ・ブル
展覧会設営中のイ・ブル
撮影:御厨慎一郎

以上のような準備的考察を行った上で、イ・ブルのサイボーグ・シリーズを考察してみましょう。サイボーグについてイ・ブルは言っています。「サイボーグの女性的な形は、近代史の中で、目覚ましいテクノロジーの発展に対する魅力と恐怖が、よりコントロールしやすい、わかりやすい表明に昇華された方法を示したものです。」(*4)
「私がやってきたことは、本質的には、男性のサイボーグ幻想の論理を、その闇の極限へと追いやることでした。そこでは、激動や衝動によって増殖していく、途方もない自動生産的な形態が、皮肉にも生まれているのです」(*5)と。つまりイ・ブルのサイボーグ・シリーズの目的はテクノロジーの発展に対する魅力と恐怖の提示にあるわけです。そしてその際、サイボーグに女性的な形姿を与えることで、男性のサイボーグ幻想の論理を極限化してみせて、そこから何が帰結するかを考察することにあったということになります。
イ・ブルのサイボーグの女性的な形姿は、それゆえ、男性の超人的なパワーへの幻想、端的には、そして究極的には男性の生殖への快楽という欲望を掻き立てる装置、あるいは機構とみなすことができるでしょう。生殖への快楽というこうした欲望は端的に言って、生の快楽的欲望であるといってよいでしょう。イ・ブルのサイボーグ形姿は、こうした生の快楽的欲望を極限にまで推し進め、生が途方もない仕方で自動生産的に増殖していく様を提示しているのです。
しかしながら、他面では、サイボーグの形姿が提示する、こうした生の増殖は「途方もない仕方で自動生産的」であるがゆえに、現在あるサイボーグの特定の形態を破壊し続け、コントロール不可能な仕方で増殖し続けることになります。その結果、このような生の増殖は既存の、あるいは既知の人間の形態に基づいたサイボーグ像を変形し変容させていかざるを得ません。

「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」展示風景
「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」展示風景
撮影:渡邉修

したがって、イ・ブルのサイボーグ像たちは、身体の部位の欠落、あるいは切断といった事態を抱え込むことになります。身体部位のこうした欠落、あるいは切断は究極的にはファロスの欠落・切断というイメージを惹起するでしょう。それゆえ、イ・ブルのサイボーグは恐怖を惹起することになります。イ・ブル自身が言うように、「サイボーグはとても両義的」(*6)なのです。イ・ブルは、このようにしてサイボーグという形姿を通じて、目覚ましいテクノロジーの発展に対する魅力と恐怖という両義性を提示しているのです。一言付言するならば、イ・ブルが創造したサイボーグは複数存在しています。この複数性が示しているのは、くだんの生の増殖の生み出した諸痕跡であると言えるでしょう。したがって、私たちは、イ・ブルのサイボーグを一連の連鎖する作品群として考察する必要があります。そして、またこのことは私たちの文明の歴史への洞察という、サイボーグ・シリーズ以降のイ・ブルの視点にも影響を与えていると思われます。

「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」展示風景
「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」展示風景
撮影:渡邉修

さて、イ・ブルのサイボーグ形姿が提起している問題をiPS細胞を例にして考えてみましょう。iPS細胞をめぐる、あるインタビューで、山中伸弥は、「究極の再生医療」は「切断した足を生やす」こと、つまり損傷を受けた部分をその内部から再生させることにあるであろう、と語っています(*7)。つまり、現在、ヒドラやプラナリアは、いくつかに切断してもまた再生されますが、そうした機能を人間にも持たせることが究極の再生医療だと言うのです。


シンポジウム風景 高橋透氏(早稲田大学 文化構想学部教授)
撮影:御厨慎一郎

グロテスクに思われることを承知の上で言いますが、こうした技術にエンハンスメントが付加されたと仮定してみましょう。そうなると通常の身体部位ではないものが身体に付加される、あるいは場合によっては除去されるといった状況が生じるでしょう。すでに、私たちは生命体のデザインを更新する可能性を手に入れつつあるのかもしれません。生命体のデザイン変更は環境の激変などが生じれば遂行されることになるのではないでしょうか。こうした状況をイ・ブルのサイボーグ形姿たちは予言しているようにも思われます。とはいえ、生命のデザインの変更と言っても、生命体の外見や形態だけを変更することが問題なのではありません。人間の寿命は、いわゆる先進国では、前世期から飛躍的に伸びました。これも栄養面・衛生面等にかかわる技術発展によるわけですが、この長寿ということも、人間の生活、社会、そして人間存在全般の様式にのっぴきならない変更を迫っていることは、長寿国日本の現況が雄弁に物語っているところです。先ほど指摘したように、iPS細胞の登場により、細胞レベルではすでに細胞の初期化、要するに若返りが可能になりました。これによって細胞の生はテクノロジーによって若返ること、つまり改めて増殖する可能性を、ひいては繰り返し増殖し続ける可能性を手に入れつつあるということになるといえるでしょう。iPS細胞が提示するこうしたサイボーグ的状況から、私たちは逃れることはできるのでしょうか。

*1. Donna J. Haraway, "A Cyborg Manifesto," in Simians, Cyborgs, and Women: the reinvention of nature, Free Association Books: London, 1991, p.149.
生と死の件。グッドイヴとのインタビュー(メモ)
*2. 「ダイレクト・リプログラミング」(メモ)
*3. 八代嘉美『増補iPS細胞』平凡社新書、2011年、p.154以下。
*4. (インタビュー)「アーティストの二つの身体」『イ・ブル展《世界の舞台》』国際交流基金アジアセンター、2003年、p.32.
*5. 「アーティストの二つの身体」『イ・ブル展《世界の舞台》』国際交流基金アジアセンター、2003年、p.33.
*6. 「アーティストの二つの身体」『イ・ブル展《世界の舞台》』国際交流基金アジアセンター、2003年、p.31.
*7. NHKスペシャル取材班編著『生命の未来を変えた男』2011年、p.198。
 

<関連リンク>

・サイボーグから見るイ・ブル
第1回 サイボーグ技術の今、ブレイン・マシン・インターフェイスやバイオ・テクノロジー
第2回 テクノロジーの発展に対する魅力と恐怖
第3回 生への探求・模索としてのサイボーグ

「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」
会期:2012年2月4日(土)~5月27日(日)

設営風景「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」(flickr)

「イ・ブル展」アーティストトーク2012/2/4(flickr)

展示風景「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」(flickr)

「イ・ブル展」はこうしてつくられた!
普段見られない舞台裏に潜入したフォトレポートをご紹介します。(Blog)

・松井冬子×片岡真実 「イ・ブル展」MAMCナイト対談ギャラリートーク
第1回 松井冬子さんとイ・ブルの共通点、作品に込められた「不安・恐怖・痛み」
第2回 彫刻家と画家の違い、〜制作のスタンス・大事にする感覚・進め方
第3回 松井冬子の「死」、イ・ブルの「ユートピア」
第4回 説明無しでも強烈なエネルギーを発する作品
第5回 社会に対するパンクな精神に共感する

カテゴリー:01.MAMオピニオン
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