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ル・コルビュジエの住宅建築を特集したNHKの番組の取材でフランスのル・コルビュジエ建築を見てきたばかりという安藤忠雄氏。10代終わりに初めて買った建築書が、ル・コルビュジエの作品集だったそうです。以後、建築家として、ル・コルビュジエから受けた影響がどのようにいかされてきたのか。自身の建築、主に住宅建築を取り上げ、完成までのエピソードを交えて解説くださいました。 |
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安藤氏は、ル・コルビュジエの「ロンシャンの礼拝堂」にたくさんの人が集まっている写真、あるいは、「マルセイユのユニテ・ダビタシオン」の屋上でこどもたちが走り回っている写真を見て、建築というのは個人的な表現だけはでなく、公共性を兼ね備え、社会に大きな影響力をもっているものなのだということを感じました。また、ル・コルビュジエの活動が、いろいろな人との共同作業をつうじて行われていることに着目します。たとえば彫刻はジョセフ・サヴィナ、家具はシャルロット・ペリアン、建築はピエール・ジャンヌレといった具合に、各々の専門家との共同作業に刺激を受けながら建築をつくっていたのです。 現在はル・コルビュジエ財団として使われている「ラ・ロッシュ‐ジャンヌレ邸」には、安藤氏が東京大学の学生たちとつくったル・コルビュジエの全住宅106戸の模型が寄贈されています。住みやすいよう、結露水の落ちる孔など、すみずみまで使い勝手を考えたつくりになっている住宅建築です。 1965年4月、安藤氏は初めてのヨーロッパ旅行にでかけました。10月、アフリカ経由で帰国するため、フランスのマルセイユで船を待ちましたが、船の出発が遅れ、いつ乗船できるかはっきりしない日々が続いたのだそうです。そんなとき、安藤氏は「マルセイユのユニテ・ダビタシオン」へ遊びに行きました。するとそこではやはり、こどもたちが遊んでいるのでした。それは、まるでル・コルビュジエ建築のコンセプト自体が語りかけてくるような体験でした。「建築というのは時間が経ったら必ず傷むのですね。しかし『考え方』が傷んだらだめ」と実感したのです。 また、「サヴォワ邸」が現在も残されているのは、アンドレ・マルローのおかげであることなども述べられました。 後半、自作の建築について、ときに影響を受けたル・コルビュジエの図面などを提示しながらレクチャーが進められました。 ずっと受け継いできた住まいをどのようにつくりあげていくかが課題となった「住吉の住宅(神戸)」、次いで「住吉の長屋(大阪)」(1976)では、ル・コルビュジエの「サヴォワ邸」のような建築をつくりたいと考えました。コンクリート打ちっ放しで、冷暖房無し、中庭つまり外を通ってトイレに行くという、自然を取り込んだ住宅で、床や手の触れるところには自然石が使われました。 「地中美術館」(2004)について、ル・コルビュジエの「ロンシャンの礼拝堂」の光の効果に触れ、これは地下建築なので形はないけれども「光の効果だけで建築が成り立つ」という考えを具現化したものだという解説をされました。 「光の教会」(1989年)は予算が少なかったので、当初の計画では屋根無しの建築だったそうです。さらに光の十字架の部分からは風が入ってきて、そういう自然を感じるところで信者同志が集まって考える場所にすることを安藤氏は主張したそうですが、結局、最終的には屋根が付き、十字の部分には風雨を防ぐためのガラスが入ることになりました。床はすべて工事に使った足場板を利用しています。「いろいろな人が興味を持つのは、表現が光だけでできているからではないかと思う」と安藤氏は述べています。 北海道のトマムには、「水の教会」(1988)をつくりました。「これほど技術が進んだら、建築というものは技術よりイマジネーションの問題なのではないか」という考えで、教会に縁側のようなものをつくりたかったそうです。 「六甲の集合住宅」(1983)を建てた土地は60度の斜面で、しかも、斜面の下には活断層が走っていました。もともとは斜面の手前の平地に分譲住宅をつくってほしいという依頼だったのですが、ル・コルビュジエの斜面住宅のスケッチが脳裏にある安藤氏は、「斜面に沿った住宅ならやりたい」と提案・説得し実現したのだそうです。やがて話がひろがり、隣の土地にも斜面住宅をつくることになりました。その際、一番いい場所には、人の集まる場所としてプールをつくりました。そして安藤氏は、やがてこの辺一体を斜面住宅にしたいと考え提案し、実現させていきます(六甲の集合住宅 I〜IV)。 スイスのラ・ショー・ド・フォンからフランスのパリへ出てきたル・コルビュジエは、正規の建築大学を出ておらず悪戦苦闘しました。しかし、自らの考え方を貫き通し、稀有な建築家として名を残しました。安藤氏は言います。「若い人は、失敗してもいいですからね。自分の考えを貫き、考えを徹底的に問いかけていきながらやっていくと、けっこう光がみえてくる」。 そして、自然環境と密着した仕事として、直島での仕事が紹介されました。亜硫酸ガスで汚染された直島を美術館にしたい。そういった要望に、まず、島を緑化するための1000円募金を開始しました。集まった資金で苗木を植える活動をして、今では緑がだいぶ戻ってきました。「自然というのは人間が破壊することもできるけれどもつくることもできる」と安藤氏。また、ベネッセアートサイト直島での、大竹伸朗、草間彌生、リチャード・ロング、宮島達夫、ジェームズ・タレル、内藤礼各氏の作品、自然光でみるモネの「睡蓮」などが紹介され、「元気の源は好奇心」であると力説されました。 加えて、東京を緑化し、風の路や海上の森をつくり、東京都の小学校の校庭をすべて芝生にする、電柱を地中化するなどの試みについての話もありました。 最後に、明石海峡大橋の見える海辺の敷地に建てられた「4m×4mの家」(2003)を紹介しました。「建築というのは物理的な大きさではなくて空間の問題」だと、語りました。ル・コルビュジエが晩年を過ごした「小さな休暇小屋」が思い出されます。「これくらいのサイズの建築なら誰にでもチャンスがある。チャンスは自分でつくらなければならない。自分で組み立てられなければならないと考える。チャンスはいつ来るかわからない。常に考え続けていなければ自分の思うようにはできない」。ル・コルビュジエから学べること、それは「自分の人生をおもしろくするのは自分だ。強い思いがあれば必ず先が見えてくる」という生き方です。1965年、ヨーロッパへ旅だった安藤氏の熱い思いは今でも続いているのでるす。終始笑いの絶えない、ユーモアにあふれたレクチャーでした。 |