| 黒川紀章氏は京都大学で建築を学びました。東京とは距離があるところで勉強したいと考えていたからです。しかしその後、東京という、矛盾をはらんで活気のあるところで考えたいという気持ちが芽生え、当時建築界のヒーローのような存在であった丹下健三氏が教鞭に立っていた東京大学大学院へと進学しました。そのころ、世界では大きな変化が始まっていました。教科書で知るような「近代建築」というモダニズムへの道を解体していくリーダーたちがいたのです。丹下氏もその中のひとりでした。そのリーダーたちのつくった運動が「CIAM」(近代建築国際会議)でした。そしてやがて「CIAM」に反発するメンバーたちが現れ「Team X」を発足。黒川氏はこの「Team X」と交流をもちました。近代建築が終わって何かが始まるらしい、ただ何が始まるかがはっきりしない。それを議論したのが「Team X」でした。ル・コルビュジエを否定した後どういう時代が来るのか。それまで「モダニズムとは何か」ということを勉強してきたにもかかわらず、黒川氏の建築家人生は、モダニズムを否定するところから始まりました。 |
| 「ル・コルビュジエの時代が終わったということはよくわかった」と黒川氏は言います。ル・コルビュジエは、ひとつの理想的な様式は文化の違いを超えて成立するという「ユニバーサリズム」の哲学を展開してきました。《サヴォワ邸》、《マルセイユのユニテ・ダビタシオン》からの彼の軌跡はその哲学を表現していたのに、最終的に《ラ・トゥーレットの修道院》や《ロンシャンの礼拝堂》で無惨な姿をさらしてしまった。モダニズムは結局、建築産業として世界の資本家の手に渡ってしまい、ル・コルビュジエたちの考えていた工業化、近代化にはならなかった。ロンシャンは建築ではなく、ユニバーサリズムがうまく機能しなくなった結果の一つの逃げ道として生まれた作品なのだ、というのが黒川氏の解釈です。 |
| そして、黒川氏は、それにもかかわらず丹下健三氏は建築家として生き延びたのだと言います。どのように生き延びたかを示す建築が《国立代々木競技場》(1964年)です。これは、ハイテクの建築であると同時に、丹下氏自身は決して口にはしませんでしたが、伝統的な日本の屋根を持った建築でした。丹下氏の思索の中心は、日本の伝統とは何かということだったのです。《国立代々木競技場》は、ル・コルビュジエの《ロンシャンの礼拝堂》よりはもっと先を見た予見的な作品でした。もっとも、それ以降の丹下氏の建築は力を失い、世界からは無視されることになりました。 |
| 1960年、時代は変わり、モダニズムが終わったところから、建築家としての歩みを始めた黒川氏。次の時代は何でしょうか。次の時代を示す言葉が見つからないとき人は必ず「ポスト」をつけます。しかしこの言葉には何も中身がなく、今まであった後に来ているものという意味に過ぎません。ほんとうに今起きているのは新しいモダニズムなのです。彼は「機械の時代から生命の時代へ」という言葉で次の時代を示しています。エイゼンシュタインは「映画は機械」、マリネッティは「詩は機械」、ル・コルビュジエは「住宅は住むための機械」と謳いました。それに対して今我々の生きている時代は生命の時代であるということなのです。規制を緩和して競争原理を導入し、海外資本もどんどん入ってくるようにして、金儲けを究極の目的としている日本。「文化についちゃ残念ながら日本はダメだね」。黒川氏は経済と文化の共生を提案します。経済も非常に重要だけど文化も大事なのだということです。 |
| それまでの哲学がどういう風な哲学をあらわそうとしていたか、その一番根底にある哲学は二元論という考えでした。イエスかノーか、自然か人間か、芸術か科学か、精神か肉体か、東洋か西洋か。そういった対立軸で、すべてを二つに分けて世界を計量し、非常にきれいに解明しようとするのが二元論です。それに対して黒川氏は、それらの中間にあるもの、あるいは両方含んでいるものを、二元論を超えようとする「共生の思想」と位置づけ提唱します。二元論を乗りこえるということは、ル・コルビュジエを乗りこえるということ、そして丹下健三氏が《国立代々木競技場》でやろうとしたことでもあるのです。丹下氏の場合は、伝統という日本のローカリズム、そしてモダニズムというグローバリズムをともに追求することでした。建築は、場のアイデンティティとグローバルということを同時に実現していくものです。「丹下健三がル・コルビュジエを横目で見ながらやろうとしていたことは何なのか、今建築家が追い求めなければいけない建築は何なのか、それはもう一度丹下健三を研究して、ル・コルビュジエを勉強すること」と黒川氏は主張します。 |
| 将来、人間と自然が共生していくためにはいろんな問題が出てくるでしょう。そこには、哲学がなければいけません。ル・コルビュジエの時代は、人間中心で考える=ヒューマニズム思想の時代でした。黒川氏の共生の思想は、人間が一番偉いのではなく、人間も森と森の中に住む動物たちと共生しなければいけないという思想です。建築も他の分野の最先端と手を携えて、ル・コルビュジエを再評価しながら、今ル・コルビュジエの時代とはどのように違う時代に生きているのかということを学ぶ必要があるのです。 |
| サービス精神旺盛な黒川氏のお話しに会場は何度も爆笑に包まれ、ときに発せられる率直で厳しい意見に身を正されるという、ダイナミックなレクチャーでした。 |