2010年12月21日(火)

彫刻という表現の可能性--始まりは「仏像はエフェクト」という開眼だった ~小谷元彦インタビュー(3)

子どもの頃から「仏像はかっこいい」と惹かれていた小谷さん。高校生の時に、その表現方法がエフェクトとしてすごい、ということに気づきます。そして彫刻というメディアを選び、追求する中で感じた難しさや可能性、その魅力について、語っていただきます。


《SP2: New Born (Python AB)》
2007年
ミクスト・メディア
22 x 43 x 48 cm
国立国際美術館、大阪
Photo: Kioku Keizo
Photo courtesy: YAMAMOTO GENDAI, Tokyo

----もともと仏像が好きで、仏師になりたいと思っていたそうですね。

小谷:はい、京都で生まれ育ったので、小さい頃から仏像を見て、洗礼を受けました。物心ついてからも、宗教心はまったくなくて、単純にかっこええな、というだけの感覚で見ていた。怪獣も同じように。だって、三十三間堂なんて、こどものときに見たらひっくり返りますよ。中から身体が抜け出てくるんじゃないかというくらい、衝撃的だった。こどもの目線から見たら、仏像という宗教的理念の形を超えた何かに感じてた。大群で殺されるみたいな感覚。大人になってから見てもやっぱり、スターシップ・トゥルーパーズのバグみたいに見えますから。やっぱり導線を含めた伽藍の構成や本堂の構造も含めて素晴らしいと思いますね。エフェクト効果が尋常ではない。まあ風神とか雷神も"鬼"っぽくって惹かれて見てましたね。

----エフェクト、という見かたをするようになったきっかけは?

小谷:高校生ぐらいのとき、奈良の聖林寺に、国宝の十一面観音像を観に行きました。なぜこんな部屋になってて、金箔が貼ってあるのかと説明を聞いたんです。もともとは観音像自体が金箔で、そこへ行くための道筋は真っ暗。ろうそくの光1本を頼りに行くようになっていた。すると扉が開いていて、金色の観音像がバーンと浮かび上がる状態になる。彫刻をよりエフェクティブに見せていたわけです。そういう話を聞いて、今までと違う見かたができるようになった。それまでは単に形状のかっこよさとか、異形のおもしろさに興味があったんですけど、その形は、ひとつのエフェクトとして存在しているんだ、とあの時に思った。何か表現のつくり方自体とか見せ方に興味を持ったんですね。仏様の形状をなぞって、細かく丁寧に彫っていくことが仏師の仕事だと思われてるけど、「実際のところ仏像ってエフェクトなのか」と。エネルギーのパワーを表すひとつの形として、異形的なものとか超越的なものの形を借りてるんじゃないかなと思ったんですね。今でもそう思っています。

----仏像の、インスタレーションという側面を見出した。おもしろいですね。彫刻の制作には、コンセプトをつくる、考える作業と、実際の制作の作業と、2つのプロセスがありますよね。一般的には、彫刻というのは肉体労働と思われがちですが。

小谷:レオナルド・ダ・ヴィンチも、「彫刻家とは肉体労働をする、まるで奴隷のようなものだ」と言ってましたからね。でもその概念はいつか消え去ると思います。彫刻の概念はもっと広がっていくはずです。ただある種の作品には、身体の問題は仕方なくつきまとうでしょう。どちらにも可能性を見いだしています。

----木彫作品の《SP (Sculpture Project)》のシリーズでは、日本の近代彫刻に言及していますね。

小谷:近代に関しては、最終的に文章を書きたかったんです。それなのに自分の作品がまったく近代に触れていないのは危険な思想かなと思った。その意味で、一度は取り組まなければならなかったんです。やってみた上で、自分なりに解読できることがあるはずだ、と。だから自分の役割として、そこの部分は一度ちゃんと開いて次につなげようと。今回、展示でも日本の近代から現代への彫刻の連続性をどこかで見せないといけないと思ったんですが、やってみたら、ダークサイドでした。自分に重しをかけてしまって辛かった。今回で近代への言及は終わりです。アクセス方法を変えて表現基盤の大分下のレイヤーには敷くことがあるかもしれませんが。


《SP2: New Born (Viper A)》
2007年
ミクスト・メディア
67 x 28 x 18 cm
個人蔵
Photo: Kioku Keizo
Photo courtesy: YAMAMOTO GENDAI, Tokyo

----いや、果敢な挑戦をぜひ続けて欲しいと思いますが。彫刻は遅れてるメディアだ、という発言もありましたが、それでも、彫刻に可能性を見出している?

小谷:物質的には彫刻がいちばん好きですね。ただし自分の表現手段のスペックとしていわゆる彫刻的なものが合っているかどうかは別問題ですが。単体の物質としての彫刻作品で終わってしまうより、もっと複雑に何かと関係して、他のメディアと融合していくほうが、身体感覚的には合っていると、今回、改めてそう思いました。

《次回 第4回 生まれ育った京都で、ファントムを感じていたのかもしれない に続く》

【児島やよい プロフィール】
フリーランス・キュレーター、ライター。慶応義塾大学、明治学院大学非常勤講師。「草間彌生 クサマトリックス」展に企画協力。「ネオテニー・ジャパン--高橋コレクション」展(上野の森美術館他巡回)等のキュレーションを手がける。
 

<関連リンク>

・「小谷元彦展:幽体の知覚」アーティストの素顔に迫る ~小谷元彦インタビュー
第1回 <幽体=ファントム>とは何か?展示を前に思いを語る
第2回 映像で彫刻をつくるということ
第3回 彫刻という表現の可能性--始まりは「仏像はエフェクト」という開眼だった
第4回 生まれ育った京都で、ファントムを感じていたのかもしれない
第5回 優雅さと暴力性、ファッションの魅力とマンガの影響
第6回 お笑いと映画への愛 自分に重ね合わせる、リスペクトする人たち

「小谷元彦展:幽体の知覚」
会期:2010年11月27日(土)~2011年2月27日(日)

・森美術館flickr(フリッカー)
展示風景「小谷元彦展:幽体の知覚」

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