2014年7月25日(金)

メルヴィン・モティが追い求める異次元的思考
「MAMプロジェクト021」アーティストトーク・レポート

世界各国の才能豊かな若手アーティストを個展形式で紹介する「MAMプロジェクト」。21回目の今回は、メルヴィン・モティ(1977年オランダ生まれ)が新作《クラスター錯覚》 (2014) を発表しています。展覧会初日の2014年5月31日に行われたアーティストトークでは、この新作と関連の深い彼の過去のプロジェクトについて作家自らが語りました。


メルヴィン・モティ
撮影:御厨慎一郎

《アート・オブ・オリエンテーション》(2011)は、ドイツ・シュトゥットガルト州立美術館の収蔵作品を着想源として展覧会を企画する「オープン・ストア」のシリーズの1つとして、モティが行なったプロジェクト。彼は「重力」と「視線」という2つのテーマにより、16世紀から20世紀の平面作品を組み合わせて展示を構成した。同館の収蔵庫の壁にランダムにかけられた2作品に描かれた男女が、見つめあっているように見えた、という自身の体験に着想を得て、制作年代や美術史的な文脈ではなく、作品の主題や構図など視覚的要素のみに着目し、「目で考える」ことを主眼において展示作品の組み合わせを決めたという。また、モティは、20世紀初頭の美術史家アビ・ヴァールブルクが、美術史の文脈にとらわれない独自の法則により日用品や造形作品の白黒写真を無数に張り付けたパネル「ムネモシュネ・アトラス」にも言及。視覚的に形成されるナラティヴ(物語)という点で《アート・オブ・オリエンテーション》との類似性を指摘した。


展示風景:「アート・オブ・オリエンテーション」シュトゥットガルト州立美術館、2011年

江戸小紋の技法を使って制作された平面作品《クラスター錯覚》は、2012年米国・ロードアイランドのRISD美術館でモティが初めて「鮫小紋」のテキスタイルを目にし、無数の点により視覚的錯覚が起きる可能性に気付いたことから始まったプロジェクトである。翌年モティは、モンドリアン財団からの派遣でアーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト]のアーティスト・イン・レジデンスに参加し、約3カ月東京に滞在。着物の小紋柄のリサーチを本格化させた。そして、今回、1カ月東京に滞在し、江戸小紋の染師、廣瀬雄一氏の協力により、絹染めの本作が完成した。
出品作のうち3点は、16世紀から19世紀のヨーロッパのエッチング作品とモティ自身が撮影した空の写真を基に、「鮫小紋」柄を連続させたもの。ドットの大きさを変化させることで、2次元の平面に3次元的なイリュージョン(錯覚)が生まれている。遠くから見ると写実的なイメージが見え、近くではドットのパターンが見えるこの作品、観客には作品との距離をいろいろ変えて観賞してほしいそうである。また出品作の他の4点は星座が主題であるが、星座の作図は夜空に無規則に並ぶ星を結んで図像を作る恣意的な行為であり、ランダムに並んだドットから具体的な図像を見出してしまう人間の「イリュージョン」について興味があるという。本シリーズは、規則性と不規則性について考察するもので、展示室の入口に展示されているドットが無規則に並ぶドローイングは、このランダムなものに規則性を見出す本能から自身を解放できるかどうかの問いかけだと説明した。


「MAMプロジェクト021:メルヴィン・モティ」展示風景、森美術館
撮影:杉山豪介


《クラスター錯覚》(部分)
2014年
絹に染色
120×175cm

35㎜フィルムの作品《囚人の映画》(2008)は、完全な暗黒のタンクの中に長時間入ると脳が活発化して視覚信号を生成し幻想が見える、というアメリカの科学者ジョン・リリーの理論に基づく。作品では、タンクの中の自身の体験を語る女性被験者と、それに対して質問をし解釈をほどこす科学者の男性との会話が流れ、スクリーンには色や形が絶えず変化するモワレのような映像とステンドグラスから差し込む光が映し出される。モティは、これを本作は空中を移動する光を視覚化する試み、と説明するが、この光のモワレは女性の幻覚体験の暗示とも解釈できる。作家は別の科学者ハインリッヒ・クリューファーの説にも言及し、このような状態で人間の見る幻覚は被験者の性別や属する文化と関係なく、人類共通のプリミティヴで普遍的なものであると主張する。


《囚人の映画》
2008年
35㎜フィルム、カラー、サウンド、22分

《エイトフォールド・ドット》(2013)は4次元について考察する35㎜フィルム作品で、CGによるドットはゼロ次元を、ドットを結ぶ線は1次元を、立方体は3次元を象徴する。作品の後半で登場する、入れ子状になったハイパー・キューブは、無数の立方体で構成され、空間の中に別の空間が存在するが、これは4次元以上の多次元を視覚化したものとモティは説明する。映像は、原子のような極小のものから宇宙のような広大な世界を行き来し、人間の思考が飛躍する幅を示唆する。ホタル石の結晶を極端な表面のクローズアップにより、固形物が液状化したように見せるシーンは、3次元から4次元に移行する際に通過しなくてはならない障壁を表わすのだという。モティは、4次元が概念的なものとした場合、理論上、8次元であろうと12次元であろうと、高次元なものを概念的に表現することは可能であるとする4次元理論の発案者の数学者G・F・リーマンの説を引用する。歴史的に概観すると、人類はこの世には存在しない完全な抽象物としての4次元を、さまざまなストーリーを付して解釈しており、それにはSF的ストーリーも含まれると指摘する。


《エイトフォールド・ドット》
2013年
35㎜フィルム、カラー、無音、24分

さて、上記のように、モティは多様な理論や学説を引用し自作を制作する。その領域は、美術や歴史から科学、数学、神経学と非常に幅広い。実は、《クラスター錯覚》制作の初期段階では、宇宙学の理論も引用されていた。このように彼の関心があまりにも多岐に渡るため、一見すると、作品に一貫性がないようにも見える。本人も、この点は認めている。しかし、この日に紹介された彼の作品には多くの共通点を見出すことが可能である。《アート・オブ・オリエンテーション》での「目で考える」という態度に見られる視覚の重要性は《クラスター錯覚》にも表われる。実際、作品制作の際にも、視覚的イメージが先にあり、後から適した理論をあてはめるのだという。《囚人の映画》の映像は光の視覚化が1つのテーマだが、《クラスター錯覚》でも雲の間から洩れ出る光が主題となる。また、前者では、脳が勝手に図像を作りだす幻想を扱うのと同様に、後者では、人間がそこに見えもしない星座を見出す習性について言及する。この抽象的なものから具象を作り出す人間の習性は、《エイトフォールド・ドット》でモティが引用する、4次元という抽象的存在に人々がさまざまなストーリーを投影することと同じである。このように、一貫していないようでも、彼の作品には共通点が多数見出せる。

しかし、「クラスター錯覚」は不規則なものに規則性を見い出さずにはいられない人間の習性を意味する言葉である。私も本当はランダムな作品の集合体であるモティの作品群に、規則性という幻想を見ているだけなのかもしれない。そう考えると、モティは「1人の作家の複数の作品にはなにかしらの一貫性があり、それを作家の作風と呼ぶ」、という美術の約束事そのものに挑戦し、別の方法で作品を考えるように我々に求めているのかもしれない。人間は3次元の世界までしか把握することができないにも関わらず、モティは4次元理論になぜそこまで魅了されるのか? モティが作品を通して追い求めるのは、私たちが未だ知らない異次元的な思考方法なのかもしれない、と彼のトークを聞いて、考えさせられた。

文:近藤健一(森美術館キュレーター)


アーティストトーク会場の様子
撮影:御厨慎一郎


トーク終了後に、担当キュレーターの近藤健一(左)とメルヴィン・モティ(右)
撮影:御厨慎一郎

<関連リンク>

「MAMプロジェクト021:メルヴィン・モティ」
会期:2014年5月31日(土)-8月31日(日)

展覧会カタログ(PDF版)

トレイラー映像

「ゴー・ビトゥイーンズ展:こどもを通して見る世界」
会期:2014年5月31日(土)-8月31日(日)

カテゴリー:03.活動レポート
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