陸前高田/2013年5月11日 気仙町湊(「陸前高田」シリーズより)

作家名 : 畠山直哉/Hatakeyama Naoya(1958-)
出身/在住 : 日本
制作年 : 2017
素材:ラムダプリント
サイズ:120×146 cm

畠山直哉は1981年まで大辻清司のもとで写真を学び、1983年ツァイト・フォト・サロン(東京)での初個展の後、1984年に筑波大学大学院の修士号を取得。東京都写真美術館(2011年)、サンフランシスコ近代美術館(2012年)など国際的に知られる美術館で個展を行っているほか、ベネチア・ビエンナーレ(2001年)にも参加。また作品は世界中の美術館のコレクションとなっている。木村伊兵衛写真賞(1997年)、日本写真協会年度賞(2003年)、芸術選奨文部科学大臣賞(2012年)を受賞しているほか、ベネチア・ビエンナーレ国際建築展 日本館 金獅子賞(国別参加部門、2012年)の受賞にも貢献した。

畠山のアーティスト活動は、住宅や産業環境、都市景観、風景を撮影した写真シリーズというかたちで行われる、自然と文化、陸と海の境界線上にある人工物の痕跡を探るポエティックなリサーチであると言える。森美術館のコレクションとなっている作品でもこうしたアプローチの広がりが示されている。「陸前高田」シリーズ(2017年)は2011年の東日本大震災後の様子をドキュメントした作品で、そのうち9点が森美術館に所蔵されている。引き裂かれた風景、破壊された村々、積み重なった残骸といったものは集合的トラウマの記録のように見えるが、実のところそれらは彼の個人的な悲しみに根ざしたものだ。畠山は崩壊寸前にあった自身の故郷の様子を記録している。そこで彼の母親、友人や近隣の人々の多くが命を奪われた。この写真シリーズは、震災のトラウマと未来への再生の間の視覚的境界線に沿ってポエティックに歩を進める。それぞれの写真には、社会的なものから生物的なものまで、悲劇的な過去の出来事と新しい生命の兆しの両方が収められている。光と影、色彩と構成、表層と奥行きを用いたこれらの写真には、廃墟と化した過去と新たな生の出現の間にある時間の循環性について、慎ましくも研ぎ澄まされた黙想がある。畠山が撮るイメージは、失われたものは元に戻らないが、それでも傷はゆっくりと癒え、人生は続いていくのだと伝えているようだ。

陸前高田/2013年5月11日 気仙町湊(「陸前高田」シリーズより)

作家名 : 畠山直哉/Hatakeyama Naoya(1958-)
出身/在住 : 日本
制作年 : 2017
素材:ラムダプリント
サイズ:120×146 cm

畠山直哉は1981年まで大辻清司のもとで写真を学び、1983年ツァイト・フォト・サロン(東京)での初個展の後、1984年に筑波大学大学院の修士号を取得。東京都写真美術館(2011年)、サンフランシスコ近代美術館(2012年)など国際的に知られる美術館で個展を行っているほか、ベネチア・ビエンナーレ(2001年)にも参加。また作品は世界中の美術館のコレクションとなっている。木村伊兵衛写真賞(1997年)、日本写真協会年度賞(2003年)、芸術選奨文部科学大臣賞(2012年)を受賞しているほか、ベネチア・ビエンナーレ国際建築展 日本館 金獅子賞(国別参加部門、2012年)の受賞にも貢献した。

畠山のアーティスト活動は、住宅や産業環境、都市景観、風景を撮影した写真シリーズというかたちで行われる、自然と文化、陸と海の境界線上にある人工物の痕跡を探るポエティックなリサーチであると言える。森美術館のコレクションとなっている作品でもこうしたアプローチの広がりが示されている。「陸前高田」シリーズ(2017年)は2011年の東日本大震災後の様子をドキュメントした作品で、そのうち9点が森美術館に所蔵されている。引き裂かれた風景、破壊された村々、積み重なった残骸といったものは集合的トラウマの記録のように見えるが、実のところそれらは彼の個人的な悲しみに根ざしたものだ。畠山は崩壊寸前にあった自身の故郷の様子を記録している。そこで彼の母親、友人や近隣の人々の多くが命を奪われた。この写真シリーズは、震災のトラウマと未来への再生の間の視覚的境界線に沿ってポエティックに歩を進める。それぞれの写真には、社会的なものから生物的なものまで、悲劇的な過去の出来事と新しい生命の兆しの両方が収められている。光と影、色彩と構成、表層と奥行きを用いたこれらの写真には、廃墟と化した過去と新たな生の出現の間にある時間の循環性について、慎ましくも研ぎ澄まされた黙想がある。畠山が撮るイメージは、失われたものは元に戻らないが、それでも傷はゆっくりと癒え、人生は続いていくのだと伝えているようだ。

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