2010年5月31日(月)

主観が入らないように、一歩下がって撮る ~米田知子アーティストトーク(後編)


《Kimusa 26》2009

ロンドン在住の米田知子さんは、ジャーナリスティックな視点を交えた写真を世界各国で撮影しています。「六本木クロッシング2010展」出品作は、かつて韓国国軍機務司令部だった建物の内部を写した《Kimusa》です。しかしそこには政治や権力といった主題は直接的には写っていません。なのに、なぜ私たちは想像力をかき立てられるのでしょうか――

米田:今回「六本木クロッシング2010展」で展示している作品は、去年(2009年)の10月に韓国のソウルで撮影したものです。タイトルの《Kimusa》は、シンプルにその場所の名前で、韓国国軍機務司令部だった所です。

1910年代、そこには李氏朝鮮の官庁がありました。写っている建物は1930年代、日本の植民地時代に官立病院として建てられたもので、韓国にはもうあまり残っていないといわれるモダニズム建築の1つです。これが戦後は韓国の軍事病院として使われ、1970年代には国軍機務司令部になりました。今から2年後の2012年には、国立の現代美術館になるそうです。

このように歴史の中で国家権力によって変貌を遂げてきた建物の痕跡を、私は写真に撮りました。撮ったのは外部と遮断されているインテリアで、壁だったり、窓だったりします。例えば窓を撮った作品がありますが、それは軍人が使う部屋の窓でマジックミラーになっていて、外からは何も見えないけれど、中からは風景が見えるんです。地下の写真もあります。地下トンネルが大統領府とつながっていたりする、そんな秘密の諜報機関です。


本展での<Kimusa>シリーズ展示風景 撮影:木奥恵三

会場からの質問:作品は社会問題にフォーカスしていますが、展示ではそうした問題に言及していませんよね。どんなお考えか教えていただけますか。

米田:悪と言うか、社会的なものは目に見えるものではないと思うのです。私たちが権威をもって圧力を掛ける側になることもあり得ます。ドイツの哲学者、ハンナ・アーレントが言ったように「Banality of Evil」、悪の陳腐というか、我々も恐怖のもとになり得る、その怖さを伝えたかったのです。戦争の悲惨な場所というのは、単に兵士が倒れている所や流血の跡だけではないと。

会場からの質問:どの作品もとても緻密で無機質につくられているような気がするのですが、感情を押し殺して撮っているのでしょうか。

米田:主観的にならないようにしています。私が興味があるのは、一人ひとり皆さんの意見が違うところですので、私の主観が入ってしまうと、そこで遮断されてしまうと思うのです。だから一歩下がって撮るようにしています。

会場からの質問:先ほどおっしゃっていたノルマンディ上陸作戦の海岸や眼鏡シリーズなど、作品の根底には記憶というものがあると思うのですが、記憶についてどう感じていらっしゃるのでしょうか。

米田:個人的な記憶や大衆の記憶は――大衆の記憶はつくられたものもあると思いますが、時代に応じて歴史観が変わったり、個々人のバックグラウンドによって感じるものが違ったりすると思うのです。そうした表面ではわからないところに、とても興味があるということです(終)。

【米田知子プロフィール】
よねだ・ともこ――ロンドン在住。目に見えない、ある場所や物にまつわる記憶や歴史をテーマに、ジャーナリスティックな視点を交えた写真作品を手掛ける。主なシリーズ作品に、知識人が生前に使用した眼鏡を通して、その人物にゆかりのある文章や楽譜などを写した《見えるものと見えないもののあいだ》(1998年~)、かつて戦場だった場所などの現在の姿を写した《シーン》(2002年~)など。バングラデシュで制作した近作《Rivers become oceans》(2008年)では、恋人をテーマの1つとして扱っている。

※この記事は2010年3月20日に開催した「六本木クロッシング2010展:芸術は可能か?」のアーティストトークを編集したものです。

<関連リンク>
・米田知子アーティストトーク(前編)
「興味があるのは、観客の心に浮かぶメンタル・イメージ」
・森美術館フリッカー
今回のアーティストトークの模様をアップしています
来館した出展アーティストの写真はこちら
米田さんの展示風景はこちらからもご覧いただけます
「六本木クロッシング2010展:芸術は可能か?」
 会期:2010年3月20日(土)~7月4日(日)

森美術館公式ブログは、森美術館公式ウェブサイトの利用条件に準じます。