2010年4月19日(月)

芸術とはコミュニケーション:観衆と作品の「クロッシング」 ~インタビュー:2010年の日本、「芸術は可能か?」(6)

「六本木クロッシング2010展」の連続記事、最後に日本のアートの可能性、そして現代美術とのより素敵な付き合い方のお話です。森美術館アソシエイト・キュレーターの近藤が同展でぜひ感じて欲しいという、アートと社会の関わり方とは。また「芸術は可能か?」という問いの答えは観衆の中にある、と語るその真意は――。

――ここでご自身の話も伺いたいと思います。森美術館は海外の優れたアートの紹介と、この「六本木クロッシング2010展」のように日本のアートを世界に発信していくこと、その両方を重視していますね。
 かつてロンドンでも現代アートの現場に関わり、森美術館では「ビル・ヴィオラ:はつゆめ展」「英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展」なども担当してきました。そうした体験も経て、本展では日本の現在形のアートというものについて、どんなところに注目してもらいたいですか?

近藤:直接の答えになるかどうかわかりませんが、2000年代半ば以降、日本の現代美術シーンでは、例えば、作家さんが自分の内面世界をナイーブな感受性で表現する絵画などが大きな潮流だとされたりします。わかりやすく言うと、いわゆる「かわいい」や「きもかわいい」表現、ユルい日常を描くものなどがひとつの傾向ですよ、というとらえ方がありますよね。

 でも、私は日本の現代アートはそれだけじゃないと思うんです。確かに、ヨーロッパと比べると、社会にきちんとメッセージを発している作品は圧倒的に少ない。でも、少ないけれどきちんとそういうことをしている人々が絶えずいて、それは評価されるべきだと思っています。「社会への言及」を重要なキーワードにしたのは(インタビュー第1回第2回参照)、そんな理由もあります。これは現代美術がもともと持っている大切な役割のひとつなので、きちんと取り上げていかなければと思っているんです。


森美術館アソシエイト・キュレーター近藤健一

――これまでの話を伺っていると「芸術は可能か?」というシンプルな問いも、色々と掘り下げて考えられるように思います。それぞれのアート作品に、様々な発見や楽しみ方がありそうですね。
 そこで最後の質問ですが、ご自身は、この展覧会を観客の皆さんにどのように楽しんでほしいと思っていますか。

近藤:私は、アートとはコミュニケーションのひとつの手段だと思っているんです。つまり、観る人が何かを感じて、何かを考えたときに、初めてそれがアートとして成立するもの。ですから今回の「六本木クロッシング2010展」を観て頂いて、何かしら新しいアイデアやユーモアを感じ取ってもらえたり、何かしら違う気分になって帰ってもらえたら嬉しいです。

 いまは先が見えない、どんよりした時代だという声もあります。でもこの展覧会を観て、新しいエネルギーや勇気、考える力を持ち帰ってもらえたら嬉しいですね。そのとき私も「芸術は可能だ」と答えられるかな、と思っているんです。

――ありがとうございました。 (2010年3月5日、森美術館にて取材)

撮影:御厨慎一郎

<関連リンク>
・連載インタビュー:2010年の日本、「芸術は可能か?」(全6回)
第1回 混迷の時代にこそ真価が問われる「アートにできること」
第2回 明日に挑む日本のアート:クロッシング=交差に迫るキーワード
第3回 「不完全の映像美」八幡亜樹さんと「一体感アート」加藤翼さん
第4回 「路上発」HITOTZUKIと「変換アート」宇治野宗輝さん
第5回 日本の東西から集ったゲストキュレーター:展覧会の舞台裏

「六本木クロッシング2010展」
会期:2010年3月20日(土)~7月4日(日)

カテゴリー:01.MAMオピニオン
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