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森美術館「カタストロフと美術のちから展」
プレ・ディスカッション・シリーズ
第2回「写真や映像で惨事を表現すること:記録、芸術性、モラル」開催レポート

2017.12.6(水)

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去る2017年9月29日、東京・六本木のアカデミーヒルズで「写真や映像で惨事を表現すること:記録、芸術性、モラル」と題したディスカッションが開催された。本ディスカッションは、2018年10月6日から森美術館で開催予定の「カタストロフと美術のちから展」の関連プログラムで、2016年3月の「大惨事におけるアートの可能性」(主催:筑波大学、共催:森美術館)に続き2回目の開催となる。
※東日本大震災5周年国際シンポジウム「大惨事におけるアートの可能性」開催レポートはこちら

登壇者は、藤井光(アーティスト)、畠山直哉(写真家)、星野太(金沢美術工芸大学講師(美学))、佐々木加奈子(東北大学研究員、アーティスト)の4名。展覧会の企画者である近藤健一(森美術館キュレーター)がモデレーターを務めた。
 はじめに、近藤から展覧会について簡単な紹介がなされた。本展は現代アートのグループ展で、東日本大震災や同時多発テロなど、世界各地で絶えず発生するカタストロフ(惨事)を、アーティストがどのように記録・表現しているか、また、惨事において現代美術は何を成し得るのか、「アートの力」について考えたいという思いから企画されたという。今回の登壇者である藤井と畠山をはじめ、各国から30~40組のアーティストが参加予定。災害やテロといった大惨事だけでなく、個人的なクライシス(危機)を扱った作品も展示予定だ。
 展覧会のもうひとつの柱を成すのが、今回のプレ・ディスカッション・シリーズで、展覧会というフォーマットだけでは扱いきれない問題を検討すべく、展覧会の一部として企画された。今回は、写真と映像というメディアに特化し、惨事を記録・公開することの社会的意義やモラル、芸術性について議論が交わされた。

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 第1部に登壇した藤井は、「被災地における問題が日々変化していくなかで、自身の表現形式も変化していった」と前置きしたうえで、東日本大震災から6カ月以内の活動のひとつ「3.11アート・ドキュメンテーション」を紹介した。

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藤井 光氏

「3.11アート・ドキュメンテーション」は、被災地における文化芸術活動を映像で記録するプロジェクト。震災後、藤井はまず、阪神・淡路大震災を経験した文化関係者に話を聞いた。そこで口にされたのは、震災が起きたときに芸術関係者は一斉に動くが、それらの活動が被災者にとって非常に苦痛なものと成り得、時に暴力に転じたこと、また、そうした活動の記録がほとんど残っていないことだった。この事実が「3.11アート・ドキュメンテーション」につながったという。
藤井は、撮影当初のエピソードとして、沿岸部で遺体の捜索をしている消防団員が、疲れを癒すために公園の片隅で音楽を奏でていた光景に触れ、「復興」以前の「復旧」期においても、文化芸術が立ち現われていたことを紹介。また、自身の活動が芸術作品であるかどうか未だに分からないとしながらも、惨事において求められるのは問題解決であるが、芸術はそれには答えられない。しかし、新たな可視性の領域を生み出し問題発見をすることはできる。自身の映像で言えば、固定化される「フクシマ」のイメージの脱構築化と、出来事の継承――100年後に残る映像を撮ることが課題であったと述べて発表を終えた。

続く星野は、1755年のリスボン大地震を例に、ディスカッションのテーマに迫った。9万人もの犠牲者を生んだリスボン大地震は、「神」と「理性」という、それまで揺らぐことのなかった概念への疑いと同時に、「崇高」なる概念を生んだと指摘。イギリスの政治家エドマンド・バークの著作を参照し、「崇高」とは、我々が実際に苦痛や危険に直面することなく、それを安全な場所から眺めたり、想像したりするときに抱く感情であるとした。今回のテーマに即して言えば、災害の光景を収めた写真や映像に感じる、ある種の美しさ=崇高さは、自らの安全を保障された人間が抱く「不謹慎」な感情に他ならず、絵画や小説に比べて、私たちの身体や情動により直接的に働きかける写真や映像というメディアほど、崇高な感情を呼び起こしやすいために、批判の対象になりやすいと述べた。

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星野 太氏

また、星野は18世紀を代表する哲学者カントにも言及。カントは『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の三批判書で「真善美」の三位一体の構造を突き崩そうとしたが、はたして我々は物事の真偽、善悪、美醜を個別に判断できているだろうか、と聴衆に問いかけて発表を締めくくった。
藤井は、星野の発表を受け、「3.11アート・ドキュメンテーション」の映像のひとつが被災者から「暴力である」と批判された経験を明かし、星野の「真善美」に関する問題提起は腑に落ちたと語った。対して星野は、藤井が監督した映画「ASAHIZA 人間は、どこへ行く」(2013年)に触れ、震災直後の作品からの変化について問うた。藤井は、分断を生み出すのではなく、被災者と非被災者といったカテゴリーを越えて、誰もが自分たちの物語として受け取ることのできる作品を目指したのが「ASAHIZA」であり、そのために映画では震災前100年間の歴史を描いたと回答した。

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藤井氏と星野氏

第2部では、まず畠山が、自身の故郷であり、東日本大震災の被災地である陸前高田を写し続けた6年間の展示形式の変化を振り返りながら発表を行った。発表に先立ち、畠山は自身を「半分被災者」と紹介。津波で実家が流され母親を亡くしたが、震災当時、東京在住で被災証明書が発行されなかったため、「自分は半分だ」と思ったという。

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畠山直哉氏

2011年10月の東京都写真美術館での個展「Natural Stories」では、会場に衝立風の壁を設け、暗室でプリントした震災後の陸前高田の写真と、帰省のたびに撮影していた震災前の写真のスライドショー《気仙川》を展示。2015年の展示では少し大きくなった写真に日付を記すようになり、2016年12月にせんだいメディアテークで開催された個展「まっぷたつの風景」では、震災後撮影し続けた約500枚のコンタクトプリントを36メートルの長さのテーブルに並べた。この展示を眺めた畠山は、まるで地層の断面を見るように時間というものが目の前に立ち現れたと思ったという。また、1993年に地震による津波で壊滅的な被害を受け、震災から5年後に「完全復興宣言」をした奥尻島から海を写した作品《奥尻 2016年7月12日》の紹介では、実際に奥尻を訪れて抱いた復興のイメージと、自分たちが抱いていた復興のイメージの違いに言及。自然の中でひとりぼっちで思い描く一人ひとりの未来は決して単純なものではないとして、自身もまた、被災地の将来について楽観的なイメージを提供する気持ちにはなれないと語った。最後に「横浜トリエンナーレ2017」(会期:2017年8月4日~2017年11月5日)での自作の展示を紹介。被災物が山のようにあったり、海に屋根が浮いているといった何かが「ある」写真ではなく、「あったものがない」、何かが欠落、不足している感覚を覚える写真を選んだとして発表を終えた。

続く佐々木は、「消費社会におけるカタストロフの記号化――大惨事をめぐる視覚表象から福島表象を考える」と題し、メディアによるカタストロフの記号化とその消費が、惨事の忘却を促進しているのではないかとして、複数の事例を検証した。アメリカ同時多発テロ事件ではビルから垂直に落下する「落ちる男」が、福島第一原子力発電所事故ではマスク姿の人々などが惨事の象徴として記号化されたと指摘。そうした記号化により、惨事の本質や教訓が伝わらないまま次の惨事に塗り替えられていることに警鐘を鳴らしたうえで、写真や映像の受け手のリテラシーの重要性、すなわち、写真に写っていないものを主体的に思考していくことの重要性を説いて発表を締めくくった。

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佐々木加奈子氏

畠山は、佐々木の発表を受けて、イメージの消費はある程度仕方がないとしたうえで、倫理や道徳を論じる以前に目が離せない「悪魔的なもの」こそが、我々が見たいと欲望する写真の本当の姿だと指摘。消費は性急な時間の中で行われるのに対して、人生は日々続いていくもので、自身の写真で「明日はある」という感覚の共有を模索していると述べた。数年、数十年先のことよりも「明日したいこと」をはっきりと思い浮かべて眠りにつく感覚は、震災後の陸前高田の撮影を通じて得たものだという。

次いで議論に加わった藤井は、東日本大震災後2年間で約800本のドキュメンタリー系の映画が作られたことを挙げ、イメージをとりまく環境の変化に言及。自身を含めた芸術家も、佐々木の言うところの「忘却の促進」に加担する矛盾を抱えていると指摘。畠山も、過去と現在のメディア環境の差異に触れ、災害発生直後から膨大なイメージが世に出回る現在において、作家は100年前には考える必要のなかった複雑な課題を背負いながら表現しているのではないかと述べた。

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モデレーターの近藤健一

会場との質疑応答では、惨事を記録、表現した作品に商業的価値を見出すことについて質問が寄せられた。近藤は、惨事を扱った作品の売買が必ずしもモラルに反しているわけではないとしたうえで、被災地の風景を「崇高さ」をもって美的に表現した作品を海外の展覧会で目にしたときに複雑な感情を抱いた経験を明かしたほか、展覧会を作り上げるなかで感じる、作品の「真善美」を個別に判断することの困難さが、本ディスカッションの開催につながったと述べた。また、阪神・淡路大震災の被災者からは、各人の発表を通じて、被災時に抱いた様々な感情に説明がついたと意見が寄せられ、ディスカッションは幕を閉じた。
プレ・ディスカッション・シリーズは、今後も阪神・淡路大震災や3.11、アートとアクティビズムなどをテーマに全5回開催予定。第3回以降の詳細は森美術館のウェブサイトで順次発表される。「カタストロフと美術のちから」展をめぐって、より一層議論が深まることを期待したい。

(文中敬称略)

文:木村奈緒(フリーランス)
撮影:御厨慎一郎

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