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森美術館「カタストロフと美術のちから展」
プレ・ディスカッション・シリーズ
第3回「阪神・淡路大震災から20余年:体験とその継承」開催レポート

2018.3.20(火)

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2018年1月16日、東京・六本木の森美術館で「阪神・淡路大震災から20余年:体験とその継承」と題したディスカッションが開かれた。本ディスカッションは、本年10月6日より同館で開催される「カタストロフと美術のちから展」の関連プログラムで、展覧会で扱うテーマについて、より一層議論を深めるべく、全5回にわたってプレ・シリーズとして開催するものである(展覧会とプログラムの詳細については、前回のレポートを参照ください)。

登壇者は、河﨑晃一(甲南女子大学文学部メディア表現学科教授)、江上ゆか(兵庫県立美術館学芸員)、平川恒太(アーティスト)、長谷川新(インディペンデントキュレーター)の4名。本展企画者で森美術館キュレーターの近藤健一が進行を務め、翌1月17日に阪神・淡路大震災(※1)から23年を迎えるにあたり、震災当時の体験や、美術による記憶の継承などについて意見を交わした。

ディスカッションは2部構成。前半は、河﨑、江上、平川の3名が20分ずつプレゼンテーションを行った。最初に登壇した河﨑は、震災から今日までの23年の歩みを時系列に沿って振り返りながら、災害時における美術の力について考察した。

河﨑晃一氏

河﨑晃一氏

震災当時、河﨑は芦屋市立美術博物館に学芸課長として勤務。同館は1991年に開館した新しい建物だったこともあり、倒壊といった被害は免れたが、展示していた彫刻家デビット・ナッシュの重さ1トン程の作品が70〜80センチ動いていたことから揺れの大きさを実感したという。

震災から1週間程して東京の美術館職員が応援に駆けつけるなど、復旧作業が始まる。震災の翌月には、文化財の緊急保全のため文化庁が組織した「文化財レスキュー事業」に、写真家・中山岩太(※2)のスタジオの救出作業を申請。被災したスタジオから約5000点のネガや資料を救出した。こうした救出作業により、これまで埋もれていた資料が見つかるなど、震災が文化財の保存につながった事例も紹介された。

2000年には、展覧会「震災と表現:震災から5年」を開催。具体美術協会のメンバーであった堀尾貞治や、イラストレーターの涌嶋克己ら、地元の作家の作品を展示した。被災地を歩いて目に焼き付けた光景をスケッチした堀尾の作品は、震災からの時間の経過とともに描かれる内容も変化。作品を通して作家自身の心情の変化を見ることこそが、展示の企画意図であったとした。

こうした活動を振り返りながらも、河﨑は震災当時、「美術は役に立たない」と感じていたことを吐露。ダンスや歌といったパフォーマンスが見ている人々の心を癒していく一方で、美術の「即効性のなさ」を痛感したという。しかしながら、震災から10年、20年を経た今、絵画をはじめとする美術によってこそ震災の記憶が呼び起こされることから、人々の記憶に強く働きかけるという美術の特殊性を感じていると述べて発表を終えた。

江上ゆか氏

江上ゆか氏

続いて登壇した江上は、自身が携わった展覧会等を紹介しながら、震災から今日までの20余年の歩みを振り返った。

江上は、1992年より兵庫県立近代美術館に学芸員として勤務(同館は2002年に現在の場所に移転し、兵庫県立美術館と改称)。地震発生時は、展示替え中につき特別展の展示室に作品はなく、常設展や収蔵庫で38点が損傷。周辺の被災状況を鑑みれば、「この程度の被害で済んだというのが率直な感想」だったという。

同館では、震災から5年、10年、20年目に震災を扱った展覧会を開催。2000年には、「震災から5年 震災と美術―1.17から生まれたもの」と題し、プロからアマチュアまで阪神・淡路大震災を直接に扱った表現を幅広く紹介。「一口に震災といっても、非常に個人的な経験としてしか語り得ないので、できるだけ個別のディティールを集めた」という。

一方で、2015年に開催した「阪神・淡路大震災から20年」展では、あらためて阪神・淡路大震災の実相を伝えたほか、文化財レスキューにより救出したネガからのプリントも含めた戦前の神戸風景を写した中山岩太の作品や、美術作品の保存・修復や教育・普及活動など、後世に美術作品を伝えるための活動を紹介。これについて江上は、「震災から20年が経って当時を知らない人が増えると、今度は“当事者の語り”であるがゆえに、震災を知らない人を黙らせてしまう危険性があった。そこで、見る人それぞれが震災と自身をつなげられる回路を開くべく、展示の中にさまざまな距離や時間を含めた構成になった」と振り返った。

また、同年には、被災地域の9つの文化施設の担当者が震災を語り継ぐ企画「阪神・淡路大震災20年・語り継ぐこと/リレートーク」を開催。震災当時は存在しなかった施設も多く、いわゆる当事者性が問題となるなかで、当事者・非当事者に関わらず、自身の変容をも捉えて記録することの重要性などが指摘されたという。

最後に、2016年に開催した展覧会「髙橋耕平―街の仮縫い、個と歩み」が紹介された。阪神・淡路大震災を出発点に、異なる個人が街をどのように経験しているかに焦点をあてた本展では、「人と防災未来センター」(※3)協力のもと、震災資料を引用してインスタレーションを構成。阪神・淡路大震災に関し、これまで多くの人によって発信されてきたアーカイブを用いて作られた初めての作品ではないかとの反応があったとして、震災から20年という時間の経過を考える上での一例を示して発表を締めくくった。

平川恒太氏

平川恒太氏

4名の登壇者の中で唯一、阪神・淡路大震災を経験していない平川は、記憶を「ケイショウ」するものとしての絵画の力について、自作を紹介しながらプレゼンを行った。

紹介されたのは《Trinitite》と《Black color timer》の2作品。いずれも黒一色の絵の具を用いて、前者では第2次世界大戦中の戦争画を模写、後者では福島第一原子力発電所で働く作業員の肖像を108つの電波時計に描いている。

黒一色という、描くのも見るのも困難な黒色を用いることについて平川は、「《Trinitite》では、黒一色を何層も重ねて当時の画家の身体感覚や感情を追体験することで、失われゆく戦争の記憶を描き出そうとしている」とし、戦争にしろ、原発事故にしろ、時間の経過とともに忘却が進み、実感を持てなくなった現状そのものも、作品として残したいと説明。絵画という決して新しくはないメディアがもつ歴史(絵画史)の厚みこそが、自身のテーマにふさわしいのだとした(作品の詳細は、平川のウェブサイトで閲覧できる)。

また、平川は、アウシュビッツ=ビルケナウ収容所や、沖縄陸軍病院 南風原豪群20号など、自身が訪れた世界各地の戦争遺跡にも言及。南風原豪では、当時の豪の匂いを再現した臭気を公開しており、五感での戦争体験の継承に取り組んでいる。こうした場所を訪れる中で平川は、「どう残すのか」「何を残すのか」「(残されたのは)誰の記憶なのか」という問いを抱くようになったという。

平川は自身の制作のテーマを「記憶のケイショウ」と表記することについて、「ケイショウ」には「(記憶の)継承」「(繰り返される惨事への)警鐘」「(目に見えない放射能などの)形象」の3つの意味を込めていると説明。一つの強いメッセージを与える作品ではなく、自らが体験していない出来事への入口たりうる作品でありたいとしてプレゼンを終えた。

後半は長谷川が加わり、近藤の進行のもと、さらなる議論が交わされた。現在、各地でインディペンデントキュレーターとして活躍する長谷川は、3歳から大学入学までを神戸で過ごしており、阪神・淡路大震災のときは6歳だった。

前半のプレゼンテーションを受けて長谷川は、自分は拠点をもたない身であるからこそ、地震発生後まず職場(美術館)に向かった河﨑と江上に、収蔵品を守るという使命感を切々と感じたほか、自身も訪れたことがあるという南風原豪については、戦争遺跡として全国で初めての文化財登録、その後の一般公開など、沖縄戦の記憶を継承するために尽力した人々の、プロセスそのものに感銘を受けたと述べた。

長谷川新氏

長谷川新氏

続く討議では、震災を直接的に描いた作品の展示について、実際に批判が寄せられたかを近藤に問われた江上が、震災から5年目の展覧会のアンケートに観客自身の被災体験が綴られていた経験を紹介。「あの展覧会をやったことは意味があったと思うが、見た人の記憶の蓋を開けてしまうような展覧会とは何だろうかと考えた」と語った。

このように、時に人の記憶を呼び起こす暴力的な側面を持つ表現を扱うことについて長谷川は、「展示に際して観客の反応は常に考えるべきで、それでもなお共有したい、残したいものを言語化できることが必須条件。展覧会をひとつのプラットフォームにしたうえで、こうしたディスカッションを行うなど、広く外に開いていくことに意味がある」と述べた。戦争画という主題を扱う平川は、国外、特にアジア圏で戦争画を見せることの難しさを実感しているといい、「自分の描き直した戦争画が戦争賛美に見えてはいけない。“戦争賛美”などという大きなテーマを設定した時に何かしらの暴力性が生まれる」として、普段意識しない矛盾や混沌とした状態をこそ作品化したいとした。

河﨑氏と江上氏

河﨑氏と江上氏

平川氏と長谷川氏

平川氏と長谷川氏

また、誰が災害を語りうるか、残された記憶は誰の記憶なのかという問いについて長谷川は、「“誰の”という問題になると当事者性が絡んでくるが、展覧会を通して“美術があなたに関係している”という一点だけは伝えられる。そこにおいて“誰の”という所有格が崩れる瞬間が絶対にある」と指摘。江上も「最後は作品しか残らないからこそ、個別的な経験を作品と一緒に残そうとする。それが所有格を崩すことにつながる」として、美術作品や展覧会を通して、記憶や経験が広く共有されていくことの可能性にも触れられた。

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左から、モデレーターをつとめた近藤健一、河﨑晃一氏、江上ゆか氏、平川恒太氏、長谷川新氏

※1 阪神・淡路大震災
1995年1月17日午前5時46分に兵庫県淡路島北部沖を震源として発生した、戦後初の大都市直下型地震。マグニチュード7.3、観測史上初の震度7を観測し、死者6,434人、行方不明者3人、負傷者43,792人の甚大な被害を生んだ。
※2 中山岩太(1895-1948年)
写真家。福岡県出身。1918年に東京美術学校(現・東京藝術大学)臨時写真科卒業後、渡米。ニューヨークやパリで活躍し、マン・レイなどと交流を深める。帰国後は兵庫県芦屋を拠点とし、「芦屋カメラクラブ」を創設。「新興写真」のジャンルで活躍し、日本の芸術写真の地位を築いた。
※3 人と防災未来センター
阪神・淡路大震災からの復興のシンボルプロジェクトとして、神戸市東部臨海地区に整備された「HAT神戸」内に2002年に開館した施設。「阪神・淡路大震災の経験を語り継ぎ、その教訓を未来に生かすことを通じて、災害文化の形成、地域防災力の向上、防災政策の開発支援を図り、安全・安心な市民協働・減災社会の実現に貢献することをミッション」としている(公式サイトより)。震災に関する資料の収集・公開のほか、阪神・淡路大震災を追体験できる設備などを有する。

(文中敬称略)

文:木村奈緒(フリーランス)
撮影:田山達之

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