2012年8月20日(月)

来日作家8人による十人十色の視点があぶり出す、アラブの世界

6月17日、シンポジウム第2部である「アーティスト・リレートーク」では、本展のために来日した作家がそれぞれ自作について語ってくれました。
8名もの作家が一同に会するリレートークは、アラブ世界の作家等の生の声を聞く又とない機会でした。制作の背景や作品にまつわるエピソードを知ることにより、目の前の作品の現実味が更に増し、一見しただけでは見えてこない作品の内側が理解できます。アーティスト同士も質問しあうようなカジュアルで和やかな雰囲気での中、大勢の立見がでるほどの観客席と作家との間では、活発な質疑応答も行われ、2時間という時間が短く感じられたリレートークでした。

スライドを使って作品を解説するサーディク・クワイシュ・アル・フラージー
トーク風景
撮影:御厨慎一郎

セクション1に《カイロ・ウォーク》を出展しているモアタッズ・ナスル。多数の写真を壁一面に集積させた
モアタッズ・ナスル
撮影:御厨慎一郎

「アラブ・エクスプレス展」展示風景
モアタッズ・ナスル 《カイロ・ウォーク》2006年
所蔵:ガレリア・コンティヌア
撮影:木奥恵三

モアタッズ・ナスルは2006年頃のカイロの市街をくまなく撮影した写真で、活気に溢れる街の様子を作品化しています。彼によれば、当時のカイロは政治的にも経済的にも決して暮らしやすい場所ではなかったといいます。一見賑やかな街の中に、時折垣間見える悲しげな表情、日々の生活を凌ぐ市民の姿をどのような気持ちで彼が撮影したかを語りました。同様に都市を主題とした作品を出展しているリーム・アル・ガイスですが、そのインスタレーション作品は、急速に発展し変貌を遂げるドバイをドキュメント的に造形化したものです。彼女の話からは、その都市の変化に伴う功罪を彼女が客観視していると同時に、故郷ドバイを愛情深い眼差しで見つめていることも感じ取ることができました。

リーム・アル・ガイスのトークを聴いている客席のヴァルタン・アヴァキアンら
トーク中のリーム・アル・ガイス
撮影:御厨慎一郎

「アラブ・エクスプレス展」展示風景
リーム・アル・ガイス 《ドバイ:その地には何が残されているのか?》 2008 / 11年
撮影:木奥恵三

《私の父が建てた家(昔むかし)》を出品したサーディク・クワイシュ・アル・フラージー。湾岸戦争やイラク戦争を経験した故郷への深い絶望が制作の根底にある
サーディク・クワイシュ・アル・フラージー
撮影:御厨慎一郎

「アラブ・エクスプレス展」展示風景
サーディク・クワイシュ・アル・フラージー 《私の父が建てた家(昔むかし)》 2010/12年
撮影:木奥恵三

サーディク・クワイシュ・アル・フラージーは、父や故郷イラクでの思い出を主題としたアニメーションによるインスタレーション作品を出展しています。彼が語ったのは作品制作のきっかけとなる出来事で、長らく訪問できなかったイラクの実家で、亡き父のスーツを目にしたときのエピソードでした。その話は非常に私的で特殊なものであるにもかかわらず、万人に共鳴する郷愁や望郷という想いでもあり、私たちに様々な記憶や感情を呼び起こすものでした。

作家グループ「アトファール・アハダース」のヴァルタン・アヴァキアン。本展には作家3人のポートレートを使った《私をここに連れて行って:想い出を作りたいから》を出品
ヴァルタン・アヴァキアン(アトファール・アハダース)
撮影:御厨慎一郎

「アラブ・エクスプレス展」展示風景
アトファール・アハダース 《私をここに連れて行って:想い出を作りたいから》2010-12年
撮影:木奥恵三

デジタル技術で未だ存在しない思い出を作り出す、という写真シリーズを出展しているヴァルタン・アヴァキアン(アトファール・アハダース)は、複製されたイメージを自作のなかに取り込む手法で、「これでもアートなの?」と問いたくなるようなインスタレーションを展開しています。一見従来の堅苦しい芸術観を嘲笑するかのような作品ですが、デジタル社会の均質性や大量生産が生み出す虚構性をあぶり出しています。

イブラヒーム・ラシード(左)と、パートナーであり本展に《ブラック・ファウンテン》を出品しているマハ・ムスタファ
イブラヒーム・ラシード(左)と、マハ・ムスタファ(右)
撮影:御厨慎一郎

「アラブ・エクスプレス展」展示風景
マハ・ムスタファ《ブラック・ファウンテン》2008/12年
撮影:木奥恵三

マハ・ムスタファとイブラヒーム・ラシードはアーティストとしてもプライベートでもパートナーとして活動している二人です。ムスタファは、1991年の湾岸戦争時に爆破された油田を原因としてイラクに降った「黒い雨」にインスピレーションを受けて作品を制作しました。一方、ラシッドはサダム・フセイン時代に受けたという肉体かつ精神的暴力を主題としています。二人は戦争、紛争、暴力、環境汚染というテーマを作品化していますが、イラクで起こった事象を作品の発想としつつも、それら諸問題はその土地固有ではなく、世界に普遍的であると言えます。「イラクで呼吸する空気ははるか日本とも繋がっているのです」と語るマハ・ムスタファの言葉に彼等の視野の広さを感じました。

写真家であり、映像作家のマハ・マームーン。出品作《ドメスティック・ツーリズムII》はエジプト映画からピラミッドの登場シーンをまとめた映像作品
マハ・マームーン
撮影:御厨慎一郎

ムハンマド・ガーゼムの作品は、絵画からビデオ、インスタレーションと多岐にわたる。本展には《ウィンドウ2003-2005》を出品
ムハンマド・カーゼム
撮影:御厨慎一郎

新旧のエジプト映画の中からピラミッドが映っている場面をコラージュした映像作品を出展しているマハ・マームーンは、ピラミッドがいかにエジプトの人々のアイデンティティに関わっているかを、国内外の視点で捉え直しています。また、ムハンマド・カーゼムは、ドバイの急激な都市化が移民の労働により成り立っているという事象を作品化していますが、都市化による富を享受するのは移民ではなくドバイ市民であるという事実を前に、そこに暮らす作家自身の葛藤が見え隠れします。「問題を提起する事がアーティストの仕事の一つなのです」というカーゼムからは、目の前の社会の矛盾と本質を作品化せずにはいられない彼の作家としての態度を見ることができました。

「アラブ・エクスプレス展」展示風景
マハ・マームーン 《ドメスティック・ツーリズム II》2008年
撮影:木奥恵三

「アラブ・エクスプレス展」展示風景
ムハンマド・カーゼム 《ウィンドウ 2003-2005》2003-05年
撮影:木奥恵三

ところで、展覧会に寄せられる感想の中には「思ったよりアラブっぽくない」というコメントがあります。おそらくアラブと聞いて漠然と思い浮かべる、例えばアラビア文字を使った作品や、いわゆる異国情緒あふれる人物や造形という「期待したアラブ像」を出展作品の中に見出だす事ができないからかもしれません。実際、今回出展作家等のその洗練された手法や表現手段は、ある意味国際的と表しても良いでしょう。しかし今日取り上げられた作品には、その表象の奥にアラブ社会や地域に非常に固有な主題を見つけることができました。と同時に環境問題や経済発展に伴う様々な現象、家族や慣習にまつわる出来事は、日本を含めた世界の誰もが共感できる普遍的な主題であるともいえるのです。日本ではアラブに対して未だ心理的な距離感があると思われます。しかし今日のリレートークにより、アラブと聞いて漠然と思い浮かべていた印象が変化し、彼等の世界がより身近にそして現実的な像として立ち現れてきたのではないでしょうか。

最後に、シンポジウムに参加したアーティストらで記念撮影
今回来日した、「アラブ・エクスプレス」展参加アーティスト
撮影:御厨慎一郎

文・田篭美保(森美術館学芸部 シニア・コーディネーター)
 

<関連リンク>

「アラブ・エクスプレス展:アラブ美術の今を知る」
2012年6月16日(土)-10月28日(日)

アラブに行こうキャンペーン

「アラブ・エクスプレス展」トレイラー映像(YouTube)

「アラブ・エクスプレス展」設営風景(flickr)

「アラブ・エクスプレス展」展示風景(flickr)

・インタビュー:「アラブ・エクスプレス展」南條史生編
(1)70年代当時と現在のアラブを比較して~
(2)世界が注目する、アラブの現代美術とその理由~
(3)展覧会開催が、文化外交、相互理解に繋がれば~

・インタビュー:「アラブ・エクスプレス展」近藤健一編
(1)アラブの世界の中の多様性を日本に紹介したい~
(2)本展のみどころ"黒い噴水"やアラブ・ラウンジについて

・「1分でわかるアラブ」
(1)スクリーンに映るアラブ
(2)男たちの社交場/カフェはじめて物語
(3)羊か鶏かそれが問題だ/料理にホスピタリティー
(4)悠久の遺跡がいっぱい/文明発祥の地メソポタミア
(5)美は幾何学的にあり!?/書道とアラベスク

カテゴリー:03.活動レポート
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