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森美術館「カタストロフと美術のちから展」
プレ・ディスカッション・シリーズ
第5回「美術かアクティビズムか」開催レポート

2018.8.13(月)

2018年7月1日、東京・六本木の国際文化会館で「美術かアクティビズムか」と題したディスカッションが開かれた。本ディスカッションは、本年10月6日より森美術館で開催される「カタストロフと美術のちから展」の関連プログラムで、展覧会で扱うテーマについて、より一層議論を深めるべく、全5回にわたってプレ・シリーズとして開催するものである(展覧会とプログラムの詳細については、第4回のレポートを参照ください)。

登壇者は、アーティストの加藤翼、壺井明、東京藝術大学大学院教授で社会学者の毛利嘉孝、本展企画者で森美術館キュレーターの近藤健一の4名。近藤、加藤、壺井によるプレゼンテーションの後、登壇者全員で討議を行った。

最初に登壇した近藤は、今回のテーマについて、作品の主眼に「社会を変えること」が置かれている場合、「美術的なクオリティと社会変革」のどちらが最終的に優先されるのかを考察してみたいとして、いくつかの作品を紹介した。

まず紹介されたのは、オノ・ヨーコの《戦争は終わる》と、フェリックス・ゴンザレス=トレスの《無題(空っぽなベッドの看板)》。どちらもビルボードを用いて街角に作品を展開したプロジェクトで、前者が、平和を希求する直接的なメッセージを掲げているのに対し、後者は、もぬけの殻のベッドの写真のみを掲示している。前者に比べて後者は一見してアート・アクティビズムとは捉えにくいが、作家のパートナーがエイズで亡くなったことを知った途端、エイズをめぐる当時の社会状況までをも読み込むことが可能になるとして、好対照な2例が挙げられた。その他、企業と政府の癒着による土地の乱開発に抗議する市民の姿を描いたインドネシアのアーティスト、ムハマッド・ウチュプ・ユスフの作品、オランダの美術館から借りたピカソの作品をパレスチナで展示するまでをドキュメントしたハレド・ホウラニの《パレスチナのピカソ》、阪神・淡路大震災から9年という時間の経過と道半ばの復興の様子をひとつのフレームに収めた米田知子の写真作品などが紹介された。

近藤健一(森美術館キュレーター)
近藤健一(森美術館キュレーター)

続いて登壇した加藤は、プロジェクトの紹介を通して、自身が取り組むテーマについて言及した。

加藤は、プロジェクトを3つの段階に分けていると言い、第一に、自分がある場所に移動すること。第二に、移動した先でネットワークを築くこと。第三に、プロジェクトの集大成として、公共空間で偶然居合わせた人も巻き込んでパフォーマンスを行うこと。この3段階を経た共同実践を作品としていると説明した。

アーティストの加藤 翼氏
アーティストの加藤 翼氏

加藤の代表的なプロジェクト「引き興し」は、寝かせてある巨大な構造物をロープで引っ張り立ち上げるもので、近年では、石油パイプラインの建設に抗議するノースダコタのアメリカ先住民居留地、ミンダナオ紛争から逃れてきた難民や無国籍者の子供たちが生活するマレーシアのサバ州など、その土地固有のストーリーや、人々の背景を積極的に取り込んでプロジェクトを展開している。そのきっかけとなったのが、2011年に東日本大震災の被災地、福島県いわき市平豊間地区で行った引き興し《The Lighthouses-11.3 PROJECT》だったと言う。震災後、友人らと被災地で支援活動を行っていた加藤。当初はアートプロジェクトなど想定もしていなかったが、倒壊した家の解体作業を手伝う中で家主との交流が生まれたことをきっかけに解体現場から木材を譲り受け、被災した地元のシンボル・塩屋崎灯台を模した構造物を引き興すプロジェクトが実現した。

 加藤 翼 《The Lighthouses - 11.3 PROJECT》
加藤 翼
《The Lighthouses - 11.3 PROJECT》
2011年
プロジェクトの記録写真
撮影:宮島径
Courtesy:無人島プロダクション

加藤はこうした自身のプロジェクトについて、ロバート・スミッソンが用いた「サイト/ノン−サイト」の概念を応用していると述べ、現場=サイトでのプロジェクトを、展覧会場=ノン−サイトに持ってくることで、誰しもが何がしかの当事者になり得る世界において、鑑賞者に当事者と非当事者の境界線について再考を促したいとして発表を締めくくった

続く壺井は、東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故後から取り組んでいる連作絵画《無主物》について、制作の背景を交えながらプレゼンを行った。

《無主物》は「原発事故が起こると何が起きるのか」に題材を絞って描いた作品で、原発事故後の日本に暮らす幼い子供を持つ母親、仮設住宅の人々、牛、農家、原発作業員など、世間ではあまり取り上げられない者たちの姿を描いていると言う。自身が福島で聞き取りをした話を元に制作し、国会議事堂、東京電力、経済産業省前に作品を持って行きゲリラで展示。支援者の協力を得て、渋谷や新宿といった繁華街にも絵を運び、国内外に展示の場を広げている。

アーティストの壺井 明氏
アーティストの壺井 明氏

自身が見聞きした原発事故後の日本の姿を描き続けることについて壺井は、悲惨な出来事を繰り返してほしくないというのが一番の動機と述べ、日本と同じく原発を持つ韓国での展示の際には、原発事故を経験した日本人アーティストは、いかなる教訓をもたらしてくれるかが期待されていたと振り返った。また、部外者である自分が被災地に入って話を聞くことで、被災者同士でも知らなかった事柄が共有されるなど、外部の人間が特定のコミュニティにもたらす変化の重要性にも言及して発表を終えた。

続く討議では毛利が加わり、さらなる議論が交わされた。毛利は、まず本日のテーマについて、本当に美術かアクティビズムかの二者択一なのか、と疑問を呈示。東日本大震災後に制作・発表された作品やプロジェクトを参照しながら、いずれも美術かアクティビズムかを明確に線引きするのは困難であるとした。また、震災は、個人の結びつきが失われてきたこの20年間の日本社会の変容をあらわにしたとして、加藤のプロジェクトは、イデオロギーや特定のテーマではなく、「巨大な構造物と格闘している人を手助けする」という身体的な反応を用いて、バラバラになった個を再び参集させるものだと評した。また、壺井の制作過程においても、作家が現地で当事者から話を聞くことで、分断されていた被災者間で共有のプロセスが生まれることに着目。分断された個、当事者と非当事者を非言語的な手法で繋ぐ点に両者の共通項を見出だせるとした。

毛利嘉孝氏(東京藝術大学大学院教授)
毛利嘉孝氏(東京藝術大学大学院教授)

そうした毛利の指摘に対し、加藤は両者の共通点を認めながらも、自身はプロジェクトに参加する一人ひとりのストーリーは追わずに、パフォーマンスという場を設けることで、そこに様々な主観を持った人たちの参加を期待していると述べ、対して壺井は、自分は一人ひとりを追って描いており、追い続けて描かねばならない人が無数にいるのだと述べた。

また、毛利は、両者が制作プロセスにおいて決して効率的とは言えない手法を用いていることについても言及。加藤は、プロジェクトは偶然性に左右されており、効率化の過程で見過ごすものがあるのではという不安から、自身がプロジェクトに介在することに重きを置いていると返答。壺井は、実際に被災地に足を運んで話を聞かなければ分からないことがあると応じた。

討論の様子
討論の様子

この日のテーマ「美術かアクティビズムか」については、壺井は物事を分解して捉えることに異論を唱えた上で、放射線被曝の問題は、カメラも入り込めないごくプライベートな領域で起きるのであり、それを表現するために絵画という手法を用いていると説明。絵を描くからには作品のクオリティを高めたいとし、美術作品としての評価を得た韓国同様、日本の美術館での展示も望んでいるとした。加藤は、作品のクオリティが鑑賞者の想像力の喚起に大きく関与すると述べ、美術作品としての評価を得て、国や時代を越えて展示されることが、次代の鑑賞者に考える機会を創出することに繋がるとして、クオリティを追求することの重要性を強調した。

会場からは、日本の美術館は、壺井の絵や韓国の民衆美術の持つ力にこそ目を向けるべきだという声や、政治的メッセージを伝える手段として美術を捉えること、カタストロフを描くことについて意見を問う声が寄せられた。壺井は、制作の根幹にあるのは「悲劇を繰り返してほしくない」という感情であり、作品が結果的に政治利用されていたとしても、そこには何の政治性もないと回答。作品の主題としてカタストロフを扱うことについては、世界各地で生じており、いつ自分の身に降りかかるかもしれない惨事に対して想像力を持ち続ける一つのきっかけに自身の作品がなれば、と加藤。壺井は、核や災害と無関係でいられない日本人として、体験を普遍的な形で伝えられる芸術が生まれてほしいし、一人ひとりが体験を語れるだけの可能性を有しているとしてディスカッションを締めくくった。

左から、近藤、毛利氏、壺井氏、加藤氏
左から、近藤、毛利氏、壺井氏、加藤氏

(文中敬称略)

文:木村奈緒(フリーランス)
撮影:田山達之

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