「時間」というテーマについて
今回の「六本木クロッシング」は、時間を多角的に解釈することで見えてくる、異なる時間の交差に注目しながら、現代アートをとおしていまの「日本」について考察します。
私たちは、現代社会が課す圧倒的なスピードと時間の抑圧から逃れることができるのでしょうか? 技術革新と効率を重視する現代社会では、儚い快楽や短期的な成果が優先され、人々はより速く生きることを求められています。一方で、アートは「時間」が経験の深さや感覚によって変化し、実に多様なかたちで存在することを教えてくれます。私的な時間、他者との時間、動植物の時間、地質学的な時間、そして地政学・社会の文脈に埋め込まれた時間。本展は、作品に現れる複数の時間の交差をとおして、世界や社会の複雑さに対する多角的な解釈を促します。
「時間」というテーマは抽象的で、現代社会の諸問題から距離を置いているようにも見えます。世界各地で勃発する戦争、人種差別や経済格差、人権問題といった深刻な課題が顕在化し、分断が進む社会のなかでは、共通の問題意識を持つことそのものが難しくなっているのも事実です。そのような状況下でも、アートは他者との共感や対話を生み出すきっかけになり得ると考えます。
今回の六本木クロッシングでは、国籍を問わず日本で活動する、もしくは日本にルーツがあり海外で活動するアーティストが出展します。「日本」という枠組みを、地域性や文化的背景、さらには地政学的な観点からも捉え直し、より広い視座からアプローチしようとする試みです。その上で、「時間」という普遍的なテーマをとおして、文化的な差異を超えた深層に共通するものを見出そうとしています。
副題「時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」は、インドネシアを代表する現代詩人、サパルディ・ジョコ・ダモノの詩の一節からの引用です。この詩は、普遍的な存在である「時間」の貴さ、そしてその時間に囚われることで、私たちが「生きる」ことの本質を見失ってしまう危うさを語っています。過ぎ去ってしまう刹那の連続である人生において、今この瞬間こそに永遠が宿る。それは単なる人間の生の継続ではなく、むしろ記憶の持続や存在の意味、そして人間関係のあり方も含みます。この詩は、「物事の本質を感じ、考える」ことを促すアートの力と深く共鳴していると、私たちは考えました。本展を通じて、「日本」とは何かをあらためて考え、「今」という時間に宿るさまざまな生のあり方、そしてその永続性と向き合います。そのなかで、複雑化する現代社会を生き抜くための可能性を模索する場ともなるでしょう。
レオナルド・バルトロメウス(山口情報芸術センター[YCAM]キュレーター)
キム・へジュ(シンガポール美術館シニア・キュレーター)
德山拓一(森美術館キュレーター)
矢作 学(森美術館アソシエイト・キュレーター)
※姓のアルファベット順
本展のみどころ
1. 「時間」をテーマにした多層的な表現
効率性や短期的な成果を重視する現代社会において、時間はしばしば消費対象として扱われますが、アートはその在り方を問い直します。A.A.Murakamiによる大型インスタレーションは、霧や光といった流動的な要素を用い、観客を物理的にも心理的にも包み込む体験を生み出します。そこでは、時間がゆっくりと拡張され、「今ここ」に深く没入する感覚が得られます。和田礼治郎のブランデーを複層ガラスに封入した立体作品では、果実の発酵と蒸留のプロセスを経た液体を作品に取り込むことで「生と死」や「時間」などの形而上学的なテーマと向き合います。ペルー人でアムステルダムを拠点に活動するマヤ・ワタナベは、考古学的なアプローチから人類史を超える時間の概念を示唆する映像インスタレーションをつくります。そして、特定の場所に集う人々の声や環境音を用いた細井美裕のサウンド・ピースでは、個人や社会、自然や記憶といったさまざまなスケールの時間が交差します。

《スカーレット・ポータル》
2020年
ワイン、強化ガラス、真鍮、ステンレススチール、大理石
180×220×60 cm
展示風景:「Embraced Void」ダニエル・マルツォーナ(ベルリン)、2020年
撮影:Nick Ash

《スカーレット・ポータル》
2020年
ワイン、強化ガラス、真鍮、ステンレススチール、大理石
180×220×60 cm
展示風景:「Embraced Void」ダニエル・マルツォーナ(ベルリン)、2020年
撮影:Nick Ash
2. 「記憶」の集積、「技術」の再定義
沖潤子による繊細な刺繍作品は、手仕事や布に宿る家族の記憶を辿りながら、個人と社会、過去と現在を結び直します。また、桑田卓郎は、日本の陶芸の技術と歴史を大胆に引用しつつ、鮮やかな色彩や奇抜なフォルムで時代を超越する造形美を実現しています。さらに、工芸と現代美術というカテゴリーに対する批評性は、「日本的なるもの」への認識を更新します。日本軍のジャワ侵攻で使用され、その後インドネシア軍が独立戦争のために再利用した戦闘機をインドネシアの凧職人たちと蘇らせる北澤潤のプロジェクトは、歴史の痕跡をダイナミックに描き出しながら、両国をつなぐことの葛藤と可能性を投げかけます。

《フラジャイル・ギフト:隼の凧》
2024年
竹、藤、印刷された布、紐
210×3,870×1,090 cm
展示風景: ARTJOG 2024、ジョグジャ国立美術館(インドネシア、ジョグジャカルタ)
撮影:Aditya Putra Nurfaizi

《フラジャイル・ギフト:隼の凧》
2024年
竹、藤、印刷された布、紐
210×3,870×1,090 cm
展示風景: ARTJOG 2024、ジョグジャ国立美術館(インドネシア、ジョグジャカルタ)
撮影:Aditya Putra Nurfaizi

《甘い生活》
2022年
綿、亜麻、絹
55.0×35.5×9.8 cm
Courtesy: KOSAKU KANECHIKA, Tokyo
撮影:木奥惠三

《無題》
2016年
磁土、釉薬、顔料、鋼鉄、金、ラッカー
288×135×130 cm
3. グローバルなアートシーンのなかでの「日本」
「日本のアート」がいまや国籍や地理的な境界に限定されないことを本展は明示します。ケリー・アカシはブロンズやガラスを用いた彫刻作品を通して、身体や記憶、刹那と永遠性といったテーマを詩的に表現し、キャリー・ヤマオカは歴史的記憶とその消失、また風景を巡る一連の作品を創り出すためにアナログ写真の手法を用います。ともに日系アメリカ人であるアカシとヤマオカの作品には、国境や世代を越えて共鳴する日本的な抒情性を見出すことができます。シュシ・スライマンはマレーシア人アーティストでありながら、長年にわたり広島県尾道市で土地の歴史やコミュニティに根差した活動を続けています。多様な視点による記憶、移動、越境といったテーマが見て取れるこれらの作品は、日本の社会と文化を様々な形で物語ります。

《モニュメント(再生)》
2024-2025年
バーナーワークで制作されたホウケイ酸ガラス、コールテン鋼
66×43.2×43.2 cm
Courtesy: Lisson Gallery
撮影:Dawn Blackman

《モニュメント(再生)》
2024-2025年
バーナーワークで制作されたホウケイ酸ガラス、コールテン鋼
66×43.2×43.2 cm
Courtesy: Lisson Gallery
撮影:Dawn Blackman